根津/禰津 政直(ねづ まさなお)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。信濃国海野氏の一族・根津氏(禰津氏)の当主。妹に武田信玄側室の禰津御寮人がいる。次男が根津甚八という説もある。政直は天文10年(1541年)に村上義清と戦って敗北し、真田幸隆らと共に上野国吾妻郡に逃亡した。そして、その4年後の天文14年(1545年)に、甲斐武田氏の新たな当主となった武田晴信(信玄)の家臣となった。その後は諏訪攻め等、主要な戦いに参戦し、武田氏の勢力拡大を支えた。また政直は妹を武田晴信の側室に送り込み、武田氏との関係を深めた。この禰津御寮人は後に武田信清の生母となっている。永禄10年(1567年)には上野の箕輪城の在番を務め、信玄から所領を与えられている。しかし天正3年(1575年)に嫡子・月直が長篠の戦いで討死を遂げた。そのため、信濃の本領を弟・信忠の子・信光に譲って隠居した。天正10年(1582年)の織田信長による甲州征伐の際は信濃北部の飯山城に居り、上杉景勝への援軍要請に当たったため、難を逃れている。武田氏滅亡後の天正11年(1583年)、政直は徳川家康に臣従した。また、徳川家臣になると禰津から根津に姓を変えている。家臣となった後は駿河国等に所領を得るが、徳川家康の関東移封後、上野国豊岡に5000石の所領を得る。政直の家督は弟・信忠の子・信光が継ぎ、上野豊岡は政直の甥・根津信政が継いでいる。
出典:wikipedia
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