茨城師範学校 (いばらきしはんがっこう) は第二次世界大戦中の1943年 (昭和18年) に、茨城県に設置された師範学校である。本項は、茨城県師範学校・茨城県女子師範学校などの前身諸校を含めて記述する。前身の茨城県師範学校から引き継いだ水戸市二の丸 (現・三の丸2丁目) の校地を使用した。同校地は 1945年8月の空襲で壊滅し、第二次世界大戦後の授業再開時に、稲敷郡阿見町の海軍気象学校跡に移転した。水戸への復帰は経済上の問題から断念し、1947年2月にはさらに土浦市大岩田町の海軍航空要員研究所跡に移転した (附属小学校は同窓会の尽力により旧校地に再建となった)。1948年10月には女子部も土浦に移転し、男子部・女子部が統合された。後身の新制茨城大学教育学部発足時は、旧・師範学校側と新・教育学部側とで折り合いがつかず、旧師範学校は土浦に残存し教育学部土浦分校となった (地元、土浦市が水戸移転に反対したためともされる。一方、教育学部は水戸市愛宕町 [現・文京] の旧陸軍第37部隊兵舎 [現・水戸キャンパス] で発足した)。1951年3月の茨城師範学校廃止により土浦分校は廃止された。現在、水戸市三の丸の旧校地は茨城県立水戸第三高等学校・茨城大学教育学部附属小学校・附属幼稚園の校地となっている。旧土浦校地は茨城県立土浦第三高等学校の校地となっている。前身の茨城県女子師範学校から引き継いだ水戸市寺町 (現・金町) の校地を使用した。同校地は 1945年8月の空襲で壊滅し、第二次世界大戦後の授業再開時には、那珂郡勝田町大字武田 (現・ひたちなか市) の日立兵器工場附属青年学校校舎を仮校舎として使用した。1948年10月、女子部は男子部校地 (土浦) に移転し、男子部・女子部が統合された。旧寺町校地は現在、水戸市立五軒小学校の校地となっている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。