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東京都市計画道路幹線街路環状第2号線

東京都市計画道路幹線街路環状第2号線(とうきょうとしけいかくどうろかんせんがいろかんじょうだい2ごうせん)は、東京都江東区有明2丁目から港区新橋、新宿区四谷を経由し千代田区神田佐久間町1丁目に至る都市計画道路である。江東区有明2丁目から豊洲6丁目までの区間、港区新橋4丁目から虎ノ門2丁目までの地下トンネル区間、新橋4丁目から虎ノ門1丁目までの地上街路(愛称:新虎通り)区間、虎ノ門2丁目の特許庁前から終点の千代田区神田佐久間町1丁目までの外堀通りが供用中である。江東区豊洲から港区新橋までの区間が事業中である。中央区築地から虎ノ門までの地下トンネルの名称は「築地虎ノ門トンネル」である。2014年4月1日、築地虎ノ門トンネルを含む有明-虎ノ門間の通称が「環二通り」と定められた。大部分が未完成となっている起点側であるが、「東京都道484号豊洲有明線」の一部として完成している区間がある。終点側の大部分は「外堀通り」として知られる。また、新橋〜虎ノ門区間の地上部道路は「新虎通り」という愛称が付けられており、このうち新橋4丁目から虎ノ門ヒルズ付近までの道路では歩道・自転車道の幅員が片側13mと広くとられている。都市計画道路のうち、2003年(平成15年)に事業化され、2014年(平成26年)3月29日に開通した虎ノ門から新橋に至る全長 1.4kmの区間は、戦後約60年間に渡って工事の着工が凍結されていた。日本の敗戦(1945年)後、日本占領軍の一部隊・アメリカ軍が駐日アメリカ合衆国大使館から竹芝桟橋に至る幅100mの大道路を計画しているとの誤解がなされ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の最高司令官ダグラス・マッカーサーの名前から「(幻の)マッカーサー道路」としばしば俗称されてきたが、これは歴史的な事実に照らして全くの誤用であった。実際には後藤新平らによって策定された帝都復興計画(1923年の関東大震災)において、この区間と全く同一のルートを通る都市計画道路が計画されていたが、帝国議会などの反対によって計画が廃止されている。その後昭和10年代末に、内務省国土局都市計画課により計画が復活し、太平洋戦争中には空襲による延焼を防ぐ空地帯の確保のため、ほぼこのルートに沿う形で防空法に基づく建物疎開が行われている。終戦後には、この空地帯を利用する形で幅員100mの環状2号線として都市計画決定がされている。この間、マッカーサーの率いるGHQは計画に全く関係していないばかりか、「敗戦国に立派な道路は必要ない」「これでは(敗戦国ではなく)戦勝国の記念道路のようだ」と、むしろ反対の立場だった。環状2号線を始めとする100m道路を都心部に縦横に走らせるという東京の戦災復興都市計画は、当時の東京都建設局都市計画課長であった石川栄耀が戦前から考案していたプランを、1945年(昭和20年)12月に閣議決定された「戦災地復興基本方針」に基づきそのまま法定計画として採用したものである。当初計画では環状2号線は全区間で幅員100mで計画され、全国に24本計画された幅員100mの都市計画道路のうちのひとつであった。これらの経緯からして、本来であれば「マッカーサー道路」ではなく「後藤新平道路」と呼ぶべきだとの意見もあった。この区間は商業地としての価値が高かったことから用地買収が難航、長らく計画は頓挫した状態であったが、1989年(平成元年)の法改正によって立体道路制度が創設され、道路上に建物を建てることが可能になったことから再開発事業が再開された。事業の進捗に際して新たな愛称を決定するため地元地権者などから構成される委員会が組織され、2013年(平成25年)2月9日より同区間の地上部分の道路愛称について公募を行った結果、同年5月31日に「新虎通り」を地上街路部の道路愛称に決定した。新たな通称名が決定したにもかかわらず、開通時の複数の報道では「マッカーサー道路」の俗称が用いられた。同年4月1日、地下トンネル区間を含む有明-虎ノ門間について「環二通り」の通称が設定された。江東区有明2丁目:国357(湾岸道路、首都高速湾岸線) | 都484(環二通り)江東区有明1丁目 | 有明北橋(環二通り)江東区豊洲6丁目付近(市場前駅前、交差点名なし):都484 | 未供用(豊洲大橋・環二通り)中央区晴海5丁目(南岸) | (環二通り)中央区晴海5丁目(北岸) | 未供用(黎明大橋・環二通り)中央区勝どき6丁目付近 | 未供用(勝どき陸橋・環二通り)中央区勝どき5丁目付近 | 未供用(隅田川、築地大橋・環二通り)中央区築地5丁目付近(築地市場) | 未供用(築地市場内・環二通り)青果門前交差点:都50(新大橋通り) || 都50(環二通り)汐先橋交差点:都316(海岸通り) || 未供用(環二通り)港区東新橋1丁目付近:国15(第一京浜) || 都405(地上街路:新虎通り、地下トンネル:環二通り)港区新橋4丁目付近:都409(日比谷通り) || 都405(地上街路:新虎通り、地下トンネル:環二通り)港区西新橋2丁目付近:東京都道301号白山祝田田町線 || 都405(環二通り)港区虎ノ門1丁目付近:国1(桜田通り) | 都405(環二通り)港区虎ノ門2丁目付近(赤坂一丁目):都405(外堀通り) | 都405(外堀通り)(特許庁前交差点) | 都405(外堀通り)溜池交差点:都412(六本木通り) | 都405(外堀通り)山王下(日枝神社入口)交差点:都413(赤坂通り) | 都405(外堀通り)赤坂見附交差点:国246(青山通り) | 都405(外堀通り)新宿区四谷1丁目付近(交差点名なし):都414号 | 都405(外堀通り)四谷見附交差点:国20(新宿通り) | 都405(外堀通り)市ヶ谷八幡町交差点:都302(靖国通り) | 都405(外堀通り)・都302(靖国通り)重複市谷見附交差点:都302(靖国通り) | 都405(外堀通り)飯田橋交差点:都8(目白通り)・都25(大久保通り) | 都405(外堀通り)水道橋交差点:東京都道301号白山祝田田町線(白山通り) | 都405(外堀通り)都403(本郷通り)と立体交差。連絡路なし。 | 都405(外堀通り)昌平橋交差点:国17・都405(外堀通り) | 国17万世橋交差点:国17・都437(中央通り) | 通称なし千代田区神田佐久間町1丁目:国4(昭和通り)2014年3月29日現在、江東区豊洲-港区新橋間が事業中である。に分けられる。このうち、築地-汐留間は虎ノ門まで連続する地下トンネル構造、中央区勝どき付近は高架構造となる。汐留-虎ノ門間は、2003年(平成15年)に事業化され、2005年(平成17年)に着工された。築地から汐留交差点を経て国道1号までの区間は地下トンネルであり、国道1号交点から外堀通り交点までは平面交差の形態で建設が進められており、2014年(平成26年)3月29日に新橋-虎ノ門間は地上街路部とあわせて開通、汐留-新橋間は引き続き建設中である。勝どきから築地・青果市場前交差点までの区間については、移転予定となっている築地市場の跡地を利用して2015年(平成27年)に完成する計画であったが、同市場の豊洲新市場(豊洲)移転計画自体が遅延している状態である。計画では汐先橋交差点を地下トンネルで通過、現在の築地市場付近で地上に出て、隅田川を橋梁で渡るという構造である。築地市場の移転が2015年度に延期されたことから、東京都では市場内の本線トンネル工事の掘削工事着手を遅らせ、市場南側の搬出用道路を片側1車線に拡幅し暫定の迂回路として隅田川を渡る橋梁と接続する計画である。新橋・虎ノ門間の道路建設に関連して3棟の再開発ビルが作られた。東京都港区新橋四丁目()で「環状第二号線新橋・虎ノ門地区第二種市街地再開発事業 I街区」の事業名で、(株)西松ビルサービスを特定建築者として建築が行われた。2011年4月に完成し「新橋プラザビル」と命名された。地上16階、地下2階で、B1階 - 3階(一部)が店舗、3階(一部) - 13階が住宅、14階 - 16階が事務所に使われている。東京都港区虎ノ門一丁目()で「環状第二号線新橋・虎ノ門地区第二種市街地再開発事業 II街区」の事業名で、丸紅㈱を特定建築者として建築が行われた。2007年4月に完成し「グランスイート虎ノ門」と命名された。地上21階、地下1階で、1階 - 3階は港区が設置した虎ノ門健康福祉館・虎ノ門高齢者住宅サービスセンター「とらトピア」、4階 - 20階は住宅として使われている。東京都港区虎ノ門一丁目()で「環状第二号線新橋・虎ノ門地区第二種市街地再開発事業 III街区」の事業名で、森ビル㈱を特定建築者として、立体道路制度を利用した超高層ビルの建築が行われた。2014年6月に完成し「虎ノ門ヒルズ」と命名された。高さ247m(最高部255.5m)、地上52階、地下5階で、1階 - 5階がカンファレンス・店舗、6階 - 36階がオフィス、37階 - 46階が住宅、47階 - 52階がホテル(アンダーズ東京)に使われている。ビルの下部に環状第2号線の築地虎ノ門トンネルと取り付け部が設けられる。

出典:wikipedia

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