青龍寺(しょうりゅうじ)は、高知県土佐市にある真言宗豊山派の寺院。独鈷山(とっこうざん)、伊舎那院(いしゃないん)と号す。本尊は波切不動明王。四国八十八箇所霊場の第三十六番札所。波切り不動さんの愛称がある。本尊真言:のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまんご詠歌:わずかなる 泉に棲める 青龍は 仏法守護の 誓ひとぞきく寺伝によれば弘仁年間(810年 - 824年)に空海(弘法大師)によって開基されたとされる。入唐求法の遣唐使として、恵果和尚より真言密教の奥義を伝授された空海が帰国の折、有縁の地に至るように祈願して独鈷杵を東方に向かって投げた。空海はその独鈷杵がこの山中の松の木にあると感得し、嵯峨天皇に奏上。弘仁6年(815年)に恵果和尚を偲び、唐の青龍寺と同じ名の寺院を建立したという。本尊の波切不動は、空海が乗った遣唐使船が入唐時に暴風雨に遭った際に、不動明王が現れて剣で波を切って救ったといわれ、空海がその姿を刻んだものであると伝える。江戸時代初期には荒廃していたが、土佐藩2代藩主山内忠義によって正保年間(1644年 - 1648年)に再興された。しかし、宝永4年(1707年)には地震と津波で大きな被害を受け、江戸末期に再建された。石段下の右に手水場、左に納経所、恵果堂がある。石段途中左奥に三重塔があり、仁王門の先にも170段の石段が続く。石段を上りきったところに本堂が建ち、左に大師堂、右に薬師堂があるが、この配置は唐の青龍寺と同様であるといわれている。重要文化財鉄道バス道路空海は、日本において寺院を建立するにふさわしい場所を選ぶため、唐から独鈷杵を投げたが、それが、ここに飛来したと云われている。そして、唐より帰国途中に暴風雨に遭ったとき降臨し荒波を切り風雨を鎮めた不動明王を祀ったのがここである。青龍寺より南東へ0.8km。奥の院への参道を上り横波スカイラインを横断して山頂へ進むと背後が太平洋の断崖の上に祠があり、石の波切不動明王が祀られている。本来は堂も本尊も空海が一夜建立されたと云われているが何度か再建されている。また、近年まで女人禁制の聖地であり、今でも三十六童子から先は裸足で参拝するしきたりとなっている。
出典:wikipedia
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