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フランシス・ロイセール

フランシス・ロイセール(Francis Reusser、1942年1月1日 ヴヴェ - )は、スイスの写真家、映画監督である。1942年1月1日、スイス・ヴォー州ヴヴェに生まれる。ヴヴェ写真学校()に学ぶ。同時期に同い年でのちの映画監督イヴ・イェルサンが在学していた。卒業後、テレヴィジオン・スイス・ロマンド()でテレビ番組の製作にたずさわる。当時同社には、のちに製作会社「グループ5」を設立する「ヌーヴォー・シネマ・スイス」の中心人物である、アラン・タネールやクロード・ゴレッタ、ミシェル・ステーらが演出部にぞろぞろといた。ロイセールは、その後もマガジン番組(、レポート番組、インタビュー番組)も多く演出している。1968年、26歳のとき、イヴ・イェルサンら新人ばかり4人の監督によるオムニバス映画『"Quatre d'entre elles"』に参加、その一篇『"22 ans - Patricia"』で映画監督となる。主演はパトリシア・モラーズ。また、ジャック・サンドス監督の一篇『"31 ans - Erika"』にロイセールは出演している。つづいて1969年、劇映画『"Vive la mort"』で長編映画の監督としてデビュー。前作のオムニバスの一篇に主演した女優パトリシア・モラーズと共同で脚本を書いた。撮影監督は新人のレナート・ベルタを抜擢。同年ベルタは、アラン・タネール監督の長篇デビュー作『どうなってもシャルル』の撮影監督をつとめるが、ロイセールは同作に重要な役で俳優として出演する。1975年、ジュネーヴのジュネーヴ高等視覚芸術学校(ESAV、"École Supérieure de l'Art Visuel"、現ESBA)にフランソワ・アルベラ(現ローザンヌ大学映画史映画美学科教授)とともに、音響視覚学科を設立した。同年、その新学科に入学するのが、のちのジャン=リュック・ゴダールの音響を支えることとなる録音技師、フランソワ・ミュジーであった。1976年、長篇第二作『"』を撮り、ロカルノ国際映画祭でグランプリにあたる金豹賞を受賞。本作の録音にはそれまで助手であったリュック・イェルサンを抜擢する。ベルタが撮影監督をつとめたダニエル・シュミット監督の『ラ・パロマ』(1974年)や、フレディ・ムーラー監督の『われら山人』(1975年)などドイツ語圏での他流試合の実績を買ってのことである。同年、ロイセールはタネール監督の『ジョナスは2000年に25才になる』に出演した。二作目の成功したがしばらく間があって、1980年に前作に主演したニエル・アレストラップを主演に『"Seuls"』を撮ることになる。同作の撮影ベルタ、録音イェルサンは、前年の1979年にフランスのグルノーブルからおなじレマン湖畔の小村ロールに移住してきたばかりのゴダール監督による、商業映画復帰第一作『勝手に逃げろ/人生』の現場から帰ってきたところだった。その後次の長編映画『パッション』(1982年)を撮ろうとしているゴダールに、ロイセールは学校の教え子ミュジーを推薦、これが25歳のミュジーにとっての録音技師デビューとなる。1970年代の映画界を彩る「ヌーヴォー・シネマ・スイス」の一角にいるロイセールは、1999年、ピエール・エテックスやルイス・ブニュエルを支えた脚本家ジャン=クロード・カリエールとコラボレートした『"』を始め、現在ももちろん新作を発表し続けている。にもかかわらず、現時点で、日本では一作たりとも商業公開されていない。公開が待たれる作家である。

出典:wikipedia

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