フォルティ(Forti)は、1995年から1996年にF1に参戦していたイタリアのレーシングチームである。正式名称はフォルティ・コルセ。オーナーはグイド・フォルティ。そもそもはイタリアF3では4度のタイトルを取り、国際F3000にも参戦していたフォルティは、1995年に国際F3000のドライバー、ペドロ・ディニスとともにF1にステップアップしてきた。ドライバーはディニスと3年ぶりにシートを獲得したロベルト・モレノだったが、実質的に資金力のあるディニスのワンマンチームであった。シャシーはジョルジオ・スティラーノ設計のFG01、エンジンはフォード・コスワース・EDエンジンを搭載した。FG01はかなり重いシャシーであったが、途中から加入したセルジオ・リンランドが豊富な資金力を活かし、積極的な改良を施した。しかし、基本的に戦闘力、信頼性の低いシャシーであり、予選最高位はオーストラリアGPのモレノの20位、決勝最高位は同グランプリのディニスの7位とノーポイント、完走率は50%を切っていた。改良パーツの使用はディニスに優先権があったためか、モレノはシーズンを通して苦戦を強いられた(改良パーツどころか、モレノのマシンそのものの優先権もディニスにあった)。1996年、ディニスがリジェに移籍し、資金難に陥る。また、この年より107%ルールが施行された為、タイムアップの為のマシンアップデートもままならないほど同チームは苦戦を強いられた。ドライバーはルカ・バドエルとアンドレア・モンテルミーニ、エンジンはフォード・コスワース・EC ZETEC-Rを搭載し、シャシーは前年の改良型FG01B(FG02とする資料もある)、サンマリノGPからジョージ・ライトン設計のFG03を投入(モンテルミーニ車はテストが間に合わず、バドエル車を借りて予選をアタック)したが戦闘力の低さは相変わらずだった。スペイングランプリ以降、シャノンという会社から大規模なスポンサードを受けることになり、チームの財政状況が改善されると思われたが、スポンサーフィーは支払われず、コスワースへのエンジン代金の支払いが滞った。シャノンのスポンサードでマシンのカラーリングが黄色からグリーンを基調としたものに変更された。その結果、第10戦イギリスGPを2人揃って予選落ちした後、エンジン供給を止められてしまい、シーズン半ばに撤退を強いられた。二人そろっての予選落ちはここまでで4回、完走はたった3回と低かった。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。