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リサ・ダルベロ

リサ・ダルベロ(Lisa Dalbello, 本名:Lisa Dal Bello, 1958年 - )はカナダ、オンタリオ州ウェストン出身の歌手、音楽家である。本稿ではアーティスト名表記を、その活動時ごとの「Lisa Dal Bello」及び「ダルベロ」としているが、項目名は「リサ・ダルベロ」とする。19歳の時、ポップ・ミュージックのジャンルでアルバム・デビュー。1977年から1981年にかけて、本名のLisa Dal Bello名義で3枚のアルバムを発表。約3年のブランクの後、1984年にアーティスト表記をDalbelloと変更。音楽性はオルタナティブ・ロックとなり、1996年までに3枚のアルバムをリリース。 個人名義では計6枚のアルバムを出している。1958年、イタリア系とイギリス系の両親の間に産まれた。幼い頃の音楽的な影響はアレサ・フランクリン、オーティス・レディング、レイ・チャールズなどのリズム・アンド・ブルース系アーティストだった。11歳でアコースティック・ギターを弾きはじめ、作詞作曲も始める。1972年、14歳の時にカナダ放送協会のプロデューサーが企画したオーディションで認められ、3曲をレコーディング。その後多くの番組のジングルに彼女の声が使用され、レコーディング経験と音楽的経験をつんでいく。CTVテレビジョンネットワークでの人気歌手ボビー・ヴィントンがメインの番組、「The Bobby Vinton Show」でのバック・シンガーを2年間経験した。イーグルスのメンバーとして有名なジョー・ウォルシュが在籍していたバンド、ジェームス・ギャングのボーカリスト、ロイ・ケナーに見出され、デヴィッド・フォスターを紹介される。17歳の時、ロサンゼルスのMCAレコードと契約。1977年にデヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎えたセルフ・ネーム・タイトルのファースト・アルバム『Lisa Dal Bello』をリリース。作曲は彼女自身とデヴィッド・フォスターによる。音楽性は彼女自身が影響を受けていたリズム・アンド・ブルースといえるものだったが、音楽シーンはディスコ・ミュージック全盛期であったため、ディスコとして売り出していた。カナダのグラミー賞と言われるジュノー賞で最優秀新人アーティストに該当する"Most Promising Female Vocalist"を獲得した。不思議なことに2年後の1979年にリリースされたセカンド・アルバム『Pretty Girls』でも同じ賞にノミネートされた。(結果は獲得できず)『Pretty Girls』はすべての曲を彼女が書き、リリースはタリスマン・レーベルからとなった。単独アーティストとしての独立レーベルとしてはカナダ初であった。このアルバムのタイトル曲「Pretty Girls」は後にメリサ・マンチェスターにカヴァーされて、ビルボード・チャートの39位になった。1981年にサード・アルバムとなる『Drastic Measures』をキャピトル・レコードからリリース。レコード会社の求める音楽性と彼女自身が目指す音楽とのギャップにかなり開きがあり、アルバム・ジャケットもオリヴィア・ニュートン・ジョンが放ったヒット曲「フィジカル」やシーナ・イーストンの「モダン・ガール」のようなイメージのものだった。アルバムリリース後、自分の創作活動とプライベートを見つめなおすために休業に入った。しかしテレビのドキュメンタリー番組で、トロントのレコーディング・スタジオで働いている彼女を見た、デヴィッド・ボウイのバック・バンド「スパイダーズ・フロム・マーズ (Spiders From Mars)」の活動で有名なギタリスト、ミック・ロンソンがアーティストとしての活動を再開するように提案した。約3年のブランクを経てリリースされたアルバム『whomanfoursays』("human forces"の同音異字)は、ダルベロとミック・ロンソンとの共同プロデュース作となった。このアルバムはアーティストの名義をDalbelloにした最初のアルバムで、ブランク前のポップ・アーティストからロックへのイメージの変化を強調するためのものであった。アルバム・ジャケットもそれまでの3枚のアルバムの女性ポップ・アイドル的なイメージではなく、儀式的な原色のペイントを施した顔のアップになっている。彼女自身がビルボード誌のインタビューにおいて「このアルバムが私にとっての転機であった」と語っている。このアルバムは過去3枚のアルバムよりも結果的に成功を収めた。ダルベロとしてのセカンド・アルバムの制作を開始するに当たり、レコード会社側よりミック・ロンソンとの共同作業を解消するように求められ、これに強く反発。結果的に契約を解消する。EMIから1987年にリリースされたアルバム『She』は「Tango」と「Black on Black」の2曲のヒット曲を含んだアルバムになった。「Black on Black」はミッキー・ローク、キム・ベイシンガーなどが出演した映画「ナインハーフ(9½ Weeks)」のサウンドトラックにも収録された。この成功は初のヨーロッパ・ツアーにもつながりツアーが元になり彼女はドイツでの商業ベースを確立。ドイツのアーティスト、ネーナの曲の英語の歌詞を担当するなどの活動に発展していった。しかし求められる方向の意見の違いからEMIとも契約を解消。1990年代はロサンゼルスを活動拠点にし、ブランフォード・マルサリスやジュリアン・レノンなどの他のアーティストへの曲の提供、1993年には、同じカナダのアーティストであるハートと活動をともにし、共同で作曲を行うなどの活動を続けた。1996年にはラッシュのギタリストであるアレックス・ライフソンのソロ・プロジェクト・アルバム『Victor』で「Start Today」のゲストボーカルとして参加。この参加により長く音楽シーンから遠ざかっていた彼女に対しての再評価がなされ、9年ぶりにEMI Electrolaからリリースされたアルバム『Whore』にも注目が集まった。前述のハート、アレックス・ライフソンの他、デュラン・デュランのジョン・テイラー、ボズ・スキャッグス。レコーディングへの参加はシェール、アリス・クーパー、パティ・ラベル、ネーナなどがある。TOTOのアルバム『TOTO XX』に収録された「Miss Sun」は当時ジェフ・ポーカロの恋人だったという縁で参加している。このほかにスウェーデンのヘヴィ・メタル・バンド、フリーク・キッチンは「Lisa」というダルベロに捧げた曲を、アルバム『Spanking Hour』に収録している。Lisa Dal Bello 名義『Lisa Dal Bello』1977年プロデューサー:デヴィッド・フォスター 『Pretty Girls』1979年プロデューサー:Al Ciner、Bob Monaco『Drastic Measures』1981年プロデューサー:Al Ciner、Bob MonacoDalbello 名義『whomanfoursays』1984年プロデューサー:ダルベロ、ミック・ロンソン『She』1987年プロデューサー:ダルベロ『whore』1996年プロデューサー:ダルベロ、Richard Benoit

出典:wikipedia

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