F-19とは、アメリカ軍が極秘に開発したと噂されていた機体の開発コードであり、実際には存在しない航空機の形式番号である。1962年にアメリカ空海軍は軍用機の命名規則により、航空機識別ナンバーを統一することとなり、それまで空海軍で異なる基準だったのを、同一基準で通番で命名する事となった。命名規則はほぼ空軍のそれに依拠するものとなり、海軍の既存の戦闘機にF-1 - F-4およびF-6 - F-11の型番が新たに付与され、以降の戦闘機はそれに続く番号で命名される事となった。忌み数である13が飛ばされたものの、以後はF/A-18まで番号が割り当てられた。そして開発中のF-5Gに新しい番号を再付番することになった際、空軍は初めF-5Gに「F-19」を割り当てようとしたが、開発元のノースロップ社はF-19ではなく「F-20」を提案した。当時、戦闘機輸出市場でF-5Gのライバルとなり得るソ連製の戦闘機(ミグ戦闘機)が使用していた型番は全て奇数であったため、ノースロップ社は型番を偶数にすることでF-5Gを目立たせようとした。また、当時のF-14、F-15、F-16、F/A-18といった10番台の戦闘機()に対して20番台とすることで新しさを強調する意図もあったと推測された。空軍はノースロップ社の提案を受け入れF-5GをF-20に改称した。メーカー側の提案や番号予約の過程で欠番が発生する現象は戦闘機以外でも起きており、戦闘機に限ってもM1897 75mm野砲にあやかり命名されたP-75(これにより73と74が欠番に)、各社が番号を取りあった末に結局どの機体にも使用されなかったF-109といった例がある。しかし番号命名の経緯に関して必ずしも詳細が語られるとは限らず、F-19の場合も記者たちが空軍の報道担当官に欠番の理由を求めた際、担当官は「我が空軍にF-19という航空機は存在しない」という簡潔な返答しかしなかった。そのため「アメリカ軍はレーダーに映らない航空機を極秘に開発しており、そのナンバーがF-19である」との考察(推測)がなされた。事実、アメリカは1975年からステルス機の開発を開始しており、1988年12月にアメリカ国防総省は、この極秘裏に開発を進めていたステルス戦闘機の存在を公表すると共に、名称がF-117である事を発表した。この発表は19の欠番と相まって更なる謎を生んだ。現実的に考えれば、極秘としている戦闘機に正直にF-19と名称が与えられるはずもないという意見もあるが、117という数字には根拠が無い。1962年の軍用機の命名規則改正によって、空軍戦闘機の「F」ナンバーはF-111で終わっているが、仮にそこからの連番としてもF-112 - F-116が欠番となっている。無論、この名称が与えられた理由は公表されていなかった。これに関して、アメリカ空軍がソビエト製戦闘機を極秘裏に入手し、それらで編成されるテスト部隊()内での機体呼称には欠番となったF-112からF-114の各番が与えられているという説がある。。またF-117を開発したロッキード社が1980年代後期に入ると、確認こそされていなかったがステルス機の存在そのものは「公然の秘密」とも言えるものになっていたため、各軍事関係書籍などでは多種類の想像図が発表されていた。いずれの想像図においても共通していたのは「機体の各部が曲線で構成されている」「垂直尾翼が内側に向いている」「電波を吸収する特殊な材質による黒い塗装が施されている」など、当時既に「レーダーに捕捉され難い」として知られていた、SR-71を小型化したようなデザインであった。また、ここからの連想で「仮に“ステルス戦闘機”を開発しているメーカーがあるとすればそれはロッキード社であろう」とも推測されていた。これらの想像や推論は結果的にいくつかは正しかったが、当時確たる根拠を持って論を展開できた例は皆無であった。F-19という名が一人歩きを始めた原因の一つが、イタリアにあるプラモデルメーカー、イタレリ(Italeri)が製作・販売したプラスチックモデルキットである。このモデルは「アメリカの開発した極秘の戦闘機を独自の情報源により再現した」と謳われており、当時漏れ伝えられていた情報を反映して、「ミサイル等の武装は機体内に搭載する」「機体は曲線で構成され、二枚の垂直尾翼は内側に傾斜している」といった特徴を持っていた。上述のようにステルス戦闘機に対する関心や憶測が高まっていたこともあり、マスコミなどが持てはやしてクリスマス商戦の目玉商品となったことから、このモデルは一躍ベストセラー商品となった。このモデルキットについて国防総省のスポークスマンに記者がコメントを求めたが、返答は「ある程度の航空機についての知識を有する者ならば、この程度の形状は想像し得るだろう」という肯定も否定もしないものであった。この微妙な返答内容が「軍関係者が否定しなかった」として売り上げ増に拍車をかけたとも言われている。F-117の開発を行っていた時期にスカンクワークスの責任者だったベン・リッチは引退後、自著の中で「このインチキ模型と社内の内紛のせいで、ロッキード社の機密保持に問題があるとした公聴会に呼び出されそうになった」と記述している。また、イタレリ製F-19キットの発売と時期を同じくして、アメリカの電子機器メーカー「ローラル」が自社広告で使用した未来の航空機のイラストが、イタレリ製F-19と同様に曲線主体の機体形状で垂直尾翼が内側に傾斜していたデザインで描かれていた事からもてはやされ、「ステルス戦闘機=曲線で包まれている」という誤った想像を広める一因となった。上述の「F-19のプラモデル」は、イタレリの他にアメリカのテスター、日本のアリイ等が販売を行った。ちなみにイタレリとテスターは提携関係にあり、発売されたのは同一のキットであったが、アリイのキットはイタレリのキットを基に「独自の考証」を加えて自社で新たに設計・開発した別物である。また、ローラル社のイラストを基にしたキットもモノグラム社から発売された。これらのプラモデルの他には、フライトシミュレーションゲームで一世を風靡したマイクロプローズがF-19ステルスファイター()というゲームを製作しており、日本ではPC-9801に移植され同社の日本法人のマイクロプローズジャパンから発売された。近年では日本のフルタ製菓がチョコエッグ「世界の戦闘機シリーズ」においてイタレリ版F-19をラインナップに加えている。これらの事象から解るように、F-19についての各種の推測において、実際のF-117のような直線構成の予想図はほとんど存在しなかった。最終的にF-117の公式発表によってその形状が明らかになると、F-19に関する考察は下火になったが、一部には「F-117は本来「F-19」と命名されるはずであったが、F-19についての推測報道が加熱したために、急遽「F-117」という命名規則外の制式番号に変更されたものである」との推察がなされたこともあった。なお、F-19と同様に、YF-24やF-121についても、存在が疑われ議論されることがある。YF-24は新世代のステルス戦闘機、F-121は1986年に初飛行を行ったと噂された“センチネル”と呼ばれるマッハ3級の高速偵察機である、というのが俗説である。YF-24は、最終的に「F-35」と命名された機体が当初は「順番から言ってF-24と命名されるのではないか」と推測されていたことから来たものと考えられているが、F-24 - F-34の欠番は、元は「X-35」という型式番号で試作されていた機体を、番号をそのままでF-35としたために生じたものであると説明できる。F-121についてもF-118 - F-120にも該当する機体が無いため、F-121という機体番号が突然に登場することには確たる理由がないものである。これに関しては、「極秘開発機に広く使われたFのプレフィックスに超音速偵察機A-12の1号機という数字を組み合わせたもの」という説がある。他方、“アメリカ空軍はソビエト製戦闘機を極秘裏に入手し、それらには欠番となったF番号が与えられている”という説から「冷戦後に入手した新たなソビエト(ロシア)製戦闘機には同じようにF-118・F-119・F-120の番号が与えられた」という説もあるが、情報源が漠然としていて定かではない。なお、アメリカ軍は冷戦後には旧東側諸国から入手したMi-24“ハインド”戦闘ヘリコプターをそのまま「Mi-24」の呼称で公然とテストを実施している。なお、これらの他にもF-104を大幅に発展させた機体としてF-204が存在するが、これはロッキードの自社開発機につけられた俗称であり、軍に制式採用された訳ではないので、正式な型番ではない。イタレリ社はF-19のプラモデルの大ヒットを受け、続いて「MiG-37B “ferret‐E”」と銘打った架空機のキットを発売した。F-117とYF-22及びYF-23、それにMiG-29やSu-27を足して割ったような形態をしていたこのモデルはある意味先進的ではあったが、F-19のようなヒット商品になることはなく、メディアで話題になることもなかった。
出典:wikipedia
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