大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判(おおえけんざぶろう・いわなみしょてんおきなわせんさいばん)は、元沖縄戦指揮官および遺族が、大江健三郎・岩波書店を、名誉毀損で訴えた裁判。集団自決訴訟、沖縄戦集団自決裁判、大江氏賠償訴訟、または沖縄集団自決冤罪訴訟ともいわれる。事件番号は、平成17年(ワ)第7696号出版停止等請求事件。沖縄戦の集団自決について、岩波書店発行の書物『沖縄ノート』(著者:大江健三郎 発行:1970年)、『太平洋戦争』(著者:家永三郎 発行:1968年 文庫本として2002年に発行)及び『沖縄問題二十年』(著者:中野好夫、新崎盛暉 発行:1965年)で書いた内容が、当時の座間味島での日本軍指揮官梅澤裕(うめざわゆたか)および渡嘉敷島での指揮官赤松嘉次(あかまつよしつぐ)が住民に自決を強いたと記述し名誉を傷つけたとして、梅澤裕および赤松秀一(赤松の弟)が、名誉毀損による損害賠償、出版差し止め、謝罪広告の掲載を求めて訴訟を起こした。2005年8月大阪地方裁判所に提訴され、2008年3月28日に第一審判決となった。判決では、「自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない 」とする一方、「大江の記述には合理的な根拠があり、本件各書籍の発行時に大江健三郎等は(命令をしたことを)真実と信じる相当の理由があったと言える」として、名誉棄損の成立を否定し、原告の請求を棄却した。原告側は判決を不服として控訴したが、大阪高裁も2008年10月31日に地裁判決を支持して控訴を棄却し、原告側はただちに最高裁に上告した。2011年4月21日、最高裁第一小法廷は上告を棄却。原告側の主張は却下された。大阪地裁は2008年3月28日、「実態の調査には、既に時聞の壁が存することから司法的な限界がある」、「『鉄の暴風』『秘録沖縄戦史』『沖縄戦史』等には、その取材源等は明示されておらず、その作者が死亡しているような書籍については、その取材源等を確認することは困難であり、本訴の提起が遅延した原告らには時間の壁があり、原告らに不利益な側面を有しているといわざるを得ない」、「裁判所は事実の存否の解明それ自体が目的ではなく、損害賠償請求等の要件(真実と信じるに相当の理由があったかどうか等)へのあてはめを立証責任を踏まえて判断」と前置きした上で、「自決命令を発したことを直ちに真実と断定できないとしても、(下記の判断ように)合理的資料若しくは根拠があり、被告が当時『真実と信じるに相当の理由はあった』」と判断し、原告の請求を棄却した。「集団自決」体験者らの体験談は、いずれも自身の実体験に基づく話として具体性、迫真性、信用性を有すると認められる。赤松大尉は、防衛隊員であった国民学校の大城徳安訓導が、数回部隊を離れたため、敵と通謀する恐れがあるとして処刑している。日本軍の情報が漏洩することを恐れて自決命令を発したことがありえることは、容易に想像できる。第三戦隊に属していた皆本義博証人が、部隊にとって大変貴重な武器であった手榴弾を住民に交付したことについて「おそらく戦隊長の了解なしに勝手にやるようなばかな兵隊はいなかったと思います」と証言していることは、その手榴弾が集団自決に使用されている以上、赤松大尉が集団自決に関与していることは強く推認される。沖縄県で集団自決が発生したすべての場所に日本軍が駐屯し、駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では集団自決は発生しなかったことを考えると、集団自決は日本軍が深く関わったものと認めるのが相当である。渡嘉敷島では赤松大尉を頂点とする上位下達の組織であったと認められ、渡嘉敷島での集団自決に赤松大尉が関与したことは十分に推認できる。梅澤は本人尋問で、「手榴弾を防衛隊員に配ったことも、住民にわたすことも許可していなかった」と証言する。一方で木崎軍曹が手榴弾を交付したことについて、「木崎軍曹が住民の身の上を心配して行ったのではないか」と供述する。慶良間諸島は沖縄本島などと連絡が遮断されていたから、食料や武器の補給が困難な状況にあったと認められ、装備品の殺傷能力を検討すると手榴弾は極めて貴重な武器であったと認められる。そうした状況で、戦隊長である梅澤の了解なしに、木崎軍曹が(住民の)身の上を心配して手榴弾を交付したというのは不自然であり、貧しい装備しか持たない部隊の戦隊長である梅澤が、(武器を散逸させるという)部下の行動を全く知らなかったというのは不自然である。よって、梅澤作成の陳述書と証言は信用性に疑問が残る。記載どおりの自決命令があったと認定するには躊躇を禁じえないが、梅澤と赤松が関与したものと推認できる。引用された文献や新聞報道で、梅澤や赤松についての記述をしていることが特定でき、「残忍な集団自決を命じた者」と記載している点は名誉毀損に当たる。だが、合理的な資料と根拠があり、真実と信じる十分な理由がある。記述の目的は、日本人のあり方を考え、読者にも反省を促すことにあったものと認められ、梅澤、赤松両名が当時公務員の地位にあったことも加えると、公益を図る目的で執筆されたことは明らかであり、意見ないし論評の域を逸脱したものとは認められない。援護法の公布(1957年)される以前の1945年4月に作成された米軍の『慶良間列島作戦報告書』の中に、「集団自決は日本軍による指導」との記述がある。また、1950年発行の「鉄の暴風」にも軍命説が記述されている。よって、沖縄で援護法の適用が意識される以前から軍命説は存在していた。このため「援護法適用のために軍命説が捏造された」とする原告の主張には疑問が残る。宮村幸延(座間味島の元援護係)が作成したとされる(援護申請のために自決命令があったと虚偽を記載したことを認める)親書は、宮村自身が親書の作成を否定する書面を残しているほか、梅澤の同行者に酒を飲まされて泥酔し、梅澤から示された文書をまねて作成したとの証言が残っており、親書が宮村の真意を示しているか疑問。しかも宮村は集団自決の当時、島におらず、以上のことから親書の内容は信じがたい。照屋は、「旧援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務め、渡嘉敷島で100人以上から話を聞いた」「遺族に援護法を適用するため、軍の命令ということにして、自分たちで書類を作った」などとするが、照屋が琉球政府に雇用されたのは、記録上、昭和30年代以降であり、しかも配属先は援護課とはまったく異なる。このため、昭和20年代後半から援護課に勤務し、現地で調査したとする経歴は疑問。当時、照屋が厚生省に提出したとする文書は存在しておらず、証言を裏付ける証拠はない。座間味島の住民が原告梅澤に集団自決を申し出て弾薬の提供を求めたのに対し、これを拒絶した内容となっており、原告梅澤が座間味島の住民の集団自決について消極的であったことは読み取れるが、これをもって直ちに「梅澤命令説」を否定したものとまでは言えない。むしろ、木崎軍曹が住民に「途中で万一のことがあった場合は、日本女性として立派な死に方をしなさいよ」と手榴弾一個が渡されたとのエピソードも記載され、日本軍関係者が米軍の捕虜になるような場合には自決を促していたことを示す記載としての意味を有する。事実関係で誤記や正確性を欠く部分があるが、とりわけ戦時下の住民の動き、非戦闘員の動きに重点を置いた戦記としての資料的価値を有すると認められる。命令の伝達経路が明らかになっていないなど、命令を明確に認める証拠がないとしている点で赤松命令説を否定する見解の有力な根拠となり得る。しかし、「証拠は出てきていない、と言うだけのことです。明日にも島の洞窟から命令を書いた紙が出てくるかもしれない」と曽野が語っているように説を覆すものとも、軍の関与を否定するものともいえない。また家永教科書検定第三次訴訟第一審の証言で、「ある神話の背景」の執筆に当たっては、富山兵事主任に取材をしなかったと証言しているが、それが事実であれば、取材対象に偏りがなかったか疑問も生じる。1945年の沖縄戦での渡嘉敷、座間味両島などでの集団自決に対しては、戦後長く守備隊長の命令だったとされ、大江健三郎の著書『沖縄ノート』(1970年、岩波書店)、家永三郎の『太平洋戦争』(1968年、岩波書店)で、軍命令だったと断じていた。だが、曽野綾子が渡嘉敷島で取材した『ある神話の背景』などによれば、守備隊長は自決を制止していたとされ、近年には関係者及び本人が遺族年金受給のために「軍命令だった」と偽っていたと証言した。こうしたことなどにより「屠殺者」「ペテン」などと断じていた大江健三郎と岩波書店に対して、元隊長や遺族らが名誉棄損で訴訟を起こすこととなった。こうした経緯を踏まえ、文部科学省は2007年3月、集団自決を強制とする記述について「軍が命令したかどうかは明らかといえない」と検定意見をつけた。のち同年12月26日、沖縄県民からの強い反発と要求により「強制」の表現は認めないものの、軍関与記述復活への再修正を認める。原告側顧問には、藤岡信勝、上杉千年など、新しい歴史教科書をつくる会(以下「つくる会」)、自由主義史観研究会(以下「研究会」)のメンバーが名を連ねている。また協力団体には他につくる会大阪、研究会関西、靖国応援団(「冤罪訴訟を支援する会」代表・南木隆治は「研究会関西」「応援団」会員である他、各種の右派市民団体に関与している)、昭和史研究所(中村粲)、日本政策研究センター、日本教育再生機構、教科書改善の会などの団体が名を連ねている。被告側には「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会」、「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」、「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」等の団体が名を連ねている。それら支援団体は、元大阪日教組委員長であり平和・民主・革新の日本をめざす全国の会元顧問の東谷敏雄が代表世話人を務めているなど、左派の関係者や団体が関与している。「すすめる会」事務局長・山口剛史は、本裁判の提訴には、自由主義史観研究会が関わっており、その裁判目的の一つには教科書検定において日本軍が「集団自決」を強いたという記述の削除にあたっての根拠づくりにあったと主張している。一方、自由主義史観研究会はHPで積極的にこの裁判を取り上げ、NHKの取材に対して支援団体であると答えている。
出典:wikipedia
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