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ニーバーの祈り

ニーバーの祈り(ニーバーのいのり、)は、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーが作者であるとされる、当初、無題だった祈りの言葉の通称。の日本語の訳語から「平静の祈り」、「静穏の祈り」とも呼称される。この祈りは、アルコール依存症克服のための組織「アルコホーリクス・アノニマス」や、薬物依存症や神経症の克服を支援するプログラム「12ステップのプログラム」()によって採用され、広く知られるようになった。「ニーバーの祈り」(以下では「祈り」と表記)にはその来歴の関係で様々な形がある。その中で日本で最もよく知られているのは大木英夫が紹介した下記の英語原文及び日本語訳である。O GOD, GIVE USSERENITY TO ACCEPT WHAT CANNOT BE CHANGED,COURAGE TO CHANGE WHAT SHOULD BE CHANGED,AND WISDOM TO DISTINGUISH THE ONE FROMTHE OTHER神よ変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。 変えることのできないものについては、 それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。「祈り」は古くから口伝えの形で出回っていたにも関わらず、1943年に行われた「祈り」に言及した(教会での)説教の記録が、一番古い記録であった。その次に古い記録は1944年の、軍付きの牧師と軍人のための教会図書についての連邦協議会における記録の中にあるものである。以前から人々の間ではニーバーの作として出回っていたものではあったが、1951年になってようやく、ニーバーは彼の雑誌の記事で「祈り」を発表した。この祈りの言葉は、ニーバー とその娘エリザベス・シフトンによって引用される。1941年か1942年にニーバーの妻が「祈り」を未公表の備忘録の中に書き留め、さらにそれが1934年ごろには(教会での祈祷に)使われていたかもしれないと書いているにも関わらず、娘のシフトンは、ニーバーがそれを1943年に書いたと考えた。1950年1月の雑誌『』において、ニーバーは以下のように述べたと伝えられる。「(祈りが)ずいぶん前、たとえば百年も前から人々の間に出回っていたという事はあり得るかもしれないね。でも、私はそうは思わない。他の誰でもなく私があの祈りを書いたことを確信しているよ。」「祈り」が教会の連邦協議会によって広められ、後にはアメリカ軍にも広まっていったことを、ニーバーは自身の著書の中で語っている。ラインホルド・ニーバー版は、いつも1つの散文として印刷された。つまり、3行の詩として形を整えることは、作者の初版を改変することを意味する。ニーバーが作者だと考えられている、オリジナル版は以下の通りである。1950年の7月2日ニューヨーク・タイムズブックレビューの23ページ、引用句の著者を出すことを求めるコラム「質問と回答」において、近い版(どうやら記憶から引用と思われるもの)が登場する。そして1950年8月13日の19ページの同じコラムに(引用句の著者を問う質問に対する)返答が掲載された。回答は、引用句の著者がニーバーであるとして、出所不明の文章が以下の通り掲載された。アルコホーリクス・アノニマスの1941年ごろの初期メンバーは、この「祈り」に注目し、「祈り」はより広く知られることとなった。アルコホーリクス・アノニマスの創立者の1人であるビル・ウィルソンと、そのスタッフはこの「祈り」を気に入り、編集、印刷し、配布した。その後、「祈り」はずっとアルコホーリクス・アノニマスで採用されており、「12段階のプログラム」()にも採用され、その情報誌においてもニーバーを著者として認め、ウェブサイトでもそれを表示している。2008年『エール引用集』()の編集者フレッド・R・シャピロは、「祈り」の様々な版が1936年には遅くとも使われていたという証拠を示した。これは、ニーバーが最初に「祈り」を出版した年から、数年前であった。 「祈り」の古い記録は全て、循環的で即興的な様々な種類の形式をとることから、課外活動や啓発活動に従事した女性たちの作品であるとシャピロは述べた。しかし2009年には、デュークの調査員であるシュテファン・ゴランソンは1937年のキリスト教学生の出版物における「祈り」の異なる版がニーバーの作であることを確認した。この形は、「変える勇気」() が「静穏」()の嘆願よりも前に着ており、今日まで確認できた他の古い出版物と適合している。最も古い1936年の記録において、ミルドレッド・ピンカートンという女性が「『祈り』を引用した」と言及されていた。まるで、すでに「祈り」が出回っていて、この記録をした人間に知られていることを示しているようである、もしくは、まるでピンカートンはそれを引用句として伝えただけであるかのようである。1938年の版でも、流暢でわずかに即興的なスタイルであったが、同じ順序であった。 シャピーロは新しい発見が最終的な解決とはみなせないと考える。しかし『エール引用集』の次の版において、「祈り」はニーバーの作とされる予定である。哲学者W・W・バートレー は注釈無しで、ニーバーの祈りと1695年のマザー・グースの韻文とを似たような感情を表現したものとして並列において考えている。8世紀のインドのナーランダ大学の仏教学者、シャーンティデーヴァ(寂天)は似たような感情を表現した。「祈り」は様々な形で存在するが、トマス・アクィナス、キケロ、アウグスティヌス、ボエティウス、マルクス・アウレリウス アッシジのフランチェスコ が、作者である、というのは正しくない。「祈り」は時々、フリードリッヒ・クリストフ・エーティンガー (1702年-1782年)の作であると言われる。しかしそれはドイツのキール大学の前-ナチ教授()による盗用を、さらに誤解したことに由来している。ヴィルヘルムは、祈りのドイツ語版を、彼自身の作として彼の本『』 に、フリードリッヒ・エーティンガー()の偽名で出版した。その本は、18世紀のエーティンガーの作品であるよう装わなかった。ヴィルヘルムの妻がエーティンガーの神学を学んだ牧師の血筋であるということを理由として、単に選ばれた偽名であった。アメリカ陸軍と合衆国公益事業機構(USO)によって第二次世界大戦の終結までドイツに「祈り」が配布されていたことを、テオドア・ヴィルヘルムは知らなかった。そして、後の作家たちは、「フリードリッヒ・エーティンガー 」名義の本が明らかに20世紀の著者によるものであるにも関わらず、それが偽名だということに気付かなかった。そして、偽名と、18世紀に実在したエーティンガーを混同したのである。なお、ヴィルヘルムが偽名を使った理由は、彼の元ナチという過去がドイツでその当時広く知れ渡っていたためであった。

出典:wikipedia

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