汗国(かんこく、ハンこく、Khanate)は、汗(カン、ハン、qan)を君主とする君主国を指す用語である。君主号としての「ハン」「ハーン」はモンゴル高原から中央アジアを中心とした、テュルク系およびモンゴル系の遊牧民王朝でよく用いられたが、モンゴル帝国時代以降、キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)崩壊の影響を受けて、中央アジア以西のキプチャク草原・ルーシ・カフカス(コーカサス)などの地域にも広がった。「カン/ハン(qan)」は「皇帝」という意味の「カガン/カアン/ハーン(qaγan)」とは違い、皇帝より格下の「王」という意味である。モンゴル帝国では皇帝号(カアン)を帯びる元朝以外の政権(ジョチ・ウルス、チャガタイ・ウルス、フレグ・ウルスなど)は汗号(カン)を用いた。チンギス・カンが率いるモンゴル帝国が勃興すると、第2代カンのオゴデイは他のカンから卓越した存在として「カアン(ハーン)」を称することになる。しかし広大すぎた版図をまとめることは難しく、元朝を盟主とする緩やかな連合として3つのハン国に分裂した。なお、現在ではこの「元と3ハン国の分裂」という理解は、実情を反映したものとはいえないとして、大元ウルス、フレグ・ウルス、ジョチ・ウルス、チャガタイ・ウルスなど「ウルス」(モンゴル語で「人々」「国家」の意)と呼ばれることも多い。分裂しおのおの独自の発展を遂げたウルスも14世紀には衰退し、それぞれ滅亡の道を歩む。しかし、ハンを君主とする伝統は、その後もテュルク系・モンゴル族系の遊牧民継承国家に受け継がれた例が多い。特にロシアを地盤としたキプチャク・ハン国(黄金のオルド)崩壊後の後継国家に著しい(なお、ロシア側からはモンゴル支配を「タタールのくびき」と呼ぶ)。また、中央アジアからモンゴルの故地においては、大ハーンの位はチンギス・ハンの血統(ボルジギン氏)を受け継いだ人間のみが就くことができるという、チンギス統原理の観念が共有された。ただし、例外としてチンギスの血統を受けていないオイラトのエセン・ハーンなどの例もある。各地において建国されたハン国は、ロシア帝国やイスラム諸王朝に吸収されていったが、遅くは20世紀まで存続した(ヒヴァ・ハン国など)。
出典:wikipedia
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