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高橋成美

高橋 成美(たかはし なるみ、、1992年1月15日-)は、千葉県出身の女性フィギュアスケート選手(ペア)。慶應義塾大学総合政策学部に在籍。パートナーは柴田嶺、アレクサンドル・ザボエフ、木原龍一、マーヴィン・トランなど。2014年ソチオリンピック日本代表。2012年世界選手権ペア銅メダリスト。5歳の時、姉のあとを追ってスケートを始める。7、8歳で3回転サルコウを跳び、まもなくアクセルを除く5種類の3回転ジャンプを修得。2002年には全日本ノービス選手権Bクラスで3位。父親の転勤に伴い中国へ渡り、12歳まで女子シングルの選手として競技会に出場した後ペアへ転向した。2004-2005シーズン高瑀とペアを組み、中国選手権シニアクラスで9組中6位。上位との差はあったものの5位以上はすべて歴代中国メダリストだった。日本に帰国後、山田孔明とペアを組み、7年ぶりの競技者となった2006年全日本ジュニア選手権にただ一組参加。2007-2008シーズンからはカナダ出身のマーヴィン・トランとペアを組み、ISUジュニアグランプリに参戦。この年も全日本ジュニア選手権にただ一組参加した。2008-2009シーズン、かつてのパートナーと初対戦となったJGPメキシコ杯では高瑀組を2つ上回っての4位。JGPジョン・カリー記念で3位となり、JGPファイナルに進出した。初参加の全日本選手権でもまたただ一組の参加者で、4年ぶりの競技者となった。2009-2010シーズン、JGPトルン杯では、自身初の優勝、日本スケート連盟に所属したペアでは史上2組目の優勝となった。ジュニアグランプリファイナルでは2位となり、これは日本スケート連盟所属ペアでの史上最高成績である。2010年の世界ジュニア選手権でも銀メダルを獲得した。2010-2011シーズン、ジュニアとシニアのグランプリシリーズの両方を掛け持ちするシーズンとなった。ジュニアグランプリシリーズでは、2週連続で2位、ジュニアグランプリファイナルでは日本人ペアとしては初めての優勝を果たし、2011年世界ジュニア選手権でも3位となった。2回目の出場となったNHK杯でシニアの国際大会で初めての表彰台となる3位、続くロステレコム杯では2位となった。GPファイナルへの進出は逃したものの、初参戦となった世界選手権では、9位となった。2011-2012シーズン、同シーズンからシニアに完全移行し、スケートカナダで4位、NHK杯でフリーと総合でパーソナルベストを更新して2位となり、日本のペア選手としては史上初となるISUグランプリファイナルへの進出を決めたが、6位に終わった。三度目の出場となった四大陸選手権では、SPでパーソナルベストを更新し、4位につけたが、フリーで得点を伸ばせず、総合5位となった。世界選手権では、SPはほぼミスのない演技で3位、FSもミスを最小限に演技をまとめ3位、パーソナルベストを17点余り更新し、総合3位。日本スケート連盟所属ペアとしてシニア世界選手権初のメダルを獲得した。シーズン最終戦の国別対抗戦では、SPは1位で発進するもFSでの転倒等のジャンプミスが重なり、トータルで2位と0.06ポイント差の3位となった。2012年4月、練習中に負傷し、左反復性肩関節脱臼と診断された。10月30日には以前より痛めていた右膝も同時に手術を行い、完全復帰に約半年を要した。2012年12月18日、マーヴィン・トランとのペア解消、新たなパートナーを探す事を発表した。2013年1月30日に日本スケート連盟より、日本男子シングルだった木原龍一とのペア結成が発表された。2013-2014シーズン、ネーベルホルン杯では11位に終わったものの、エストニアが枠を返上したことにより、繰り上がりで団体戦と共に個人戦のソチオリンピックへの初出場が決定した。2014年2月のソチ五輪本番では、団体戦で日本代表として総合5位(SP8位・FS5位)に留まり、ペア個人戦はSP18位に終わりフリー進出は果たせなかった。自身2年ぶり出場となった同年3月の世界選手権もSP17位、FS(SP16位以内でFS進出)へはあと1組で惜しくも進めなかった。2015年3月31日、2014-2015シーズン限りで木原とのペア解消を発表した。7月6日、ロシア人のアレクサンドル・ザボエフとのペア結成を発表した。しかし資金難により年内でペアは解散した。2016年5月18日、2010年に引退していた柴田嶺とのペア結成が発表された。

出典:wikipedia

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