善名称院(ぜんみょうしょういん)は、和歌山県九度山町にある高野山真言宗の寺院。真田昌幸・信繁の蟄居時代の草庵跡と伝わる場所であるが、諸説ある。和歌山県の史跡に指定。別称は真田庵(さなだあん)。牡丹の名所としても知られ、城郭風の本堂の八棟造も有名である。寛保元年(1741年)に大安上人が、真田昌幸の庵跡と伝承のあるこの地に、地蔵菩薩を安置した一堂を創建したのが始まりである。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属して敗れた真田昌幸・信繁父子は、女人禁制の高野山(蓮華定院)に配流の身となった。しかし、妻を連れていたために九度山に移され蟄居生活を送ったとあるが、理由には諸説ある。善名称院には、その庵の址があったと伝わるが、庵は遍照寺の近くにあったという説など、諸説がある。後世、真田親子の講談が人気となり読まれ、訪れる人も増え観光化され、別称・真田庵と呼ばれるようになり、資料館なども併設、開館された。平成28年(2016年)のNHK大河ドラマ・『真田丸』の放送に合わせ、同年3月13日から翌年2月28日まで、北へ100mの地点で九度山・真田ミュージアムが開館している。真田昌幸・信繁の九度山での生活をテーマに、信繁が愛用したと伝えられる槍先や鎧兜などの武具や書状、肖像画などが数多く展示されている。また、当時の真田家の生活を支えた真田紐や高野紙製造用具なども展示されている。善名称院の約200m東に、昔から地元の人々に「真田の抜け穴」と伝わっていた穴がある。また、その穴から善名称院までを真田氏の造った抜け穴と長い間信じられてきたが、しかし、昭和28年(1953年)に行われた発掘調査によって、古墳時代後期(4世紀)に造られた横穴式石室を持つ円墳であることが判明した。真田との関係性は無いが縁の地という事で、真田古墳と名づけられた。
出典:wikipedia
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