長野 藤定(ながの ふじさだ)は、戦国時代の伊勢国の戦国大名。長野工藤氏の第15代当主である。大永6年(1526年)、第14代当主・長野稙藤の子として生まれる。父より早くから家督を譲られて第15代当主となり、父と共同統治を行なっていたようである。天文12年(1543年)からは南伊勢の支配権をめぐって北畠晴具・北畠具教らと争ったが決着は着かず、今度は北畠氏と和睦し、さらに南近江の六角定頼とも和睦して、北近江の浅井氏を攻めている。しかし北畠氏と再び抗争を開始し、天文16年(1547年)からは北畠晴具の猛攻を受けた。この侵攻に次第に押され気味となった長野氏は、永禄元年(1558年)に北畠具教と和睦し、具教の次男・長野具藤を養子に迎えて家督を譲ることを余儀なくされた。形式的には和睦だが、実質的には臣従である。永禄5年(1562年)5月5日に死去。享年37。その死は病死といわれているが、父・稙藤も同日に死去しているため、北畠氏による暗殺説もある。
出典:wikipedia
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