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釜山港へ帰れ

「釜山港へ帰れ」(プサンこうへかえれ)は、黄善友が作詞・作曲した大韓民国の歌謡曲(トロット)。1972年2月、チョー・ヨンピルが『女学生のためのチョー・ヨンピル ステレオヒットアルバム』 で発表した。本国韓国では約60人の歌手がカバーしており、また釜山に本拠地を置くプロ野球チームロッテ・ジャイアンツのコンバットマーチとして、広く歌われている曲である。日本語版の作詞(三佳令二による)では釜山港で帰ってこない男性を待つ女性の心情が歌われているが、原詞では(日本へ)行ってしまったきり帰ってこない兄弟が歌われている。なお原題を直訳すると「帰ってこい釜山港へ」となり、訳題は倒置されている。日本では1979年に、殿さまキングスが「泪の波止場」というタイトルでシングルを発売した。歌詞はほぼ大部分が「釜山港へ帰れ」(の訳詞)と同じではあるが、釜山港というフレーズの部分は違う歌詞となっていた(作詞者は同じく三佳令二である)。さらに日本では1983年、渥美二郎がロック調にアレンジして歌い、70万枚を超える大ヒットとなった。桂銀淑、ジェロもこの曲をカバーした。シングルとして発売したものは渥美やチョーの他、美川憲一、増位山太志郎、日野美歌(B面扱い)、李成愛、内田あかり、北原ミレイらがいる。チョー、増位山、北原、李、桂のバージョンは2番が韓国語で歌われている一方、殿キン、渥美、美川、日野、内田の発売したシングルでは全編日本語詞である。渥美版がヒットしていた1983年11月14日には、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)にて渥美やチョーをはじめカバーした歌手が大挙集まっての歌唱が行われた。2004年、この歌の歌詞はほかの歌の作詞を盗用したものとして訴えを起こされた。訴訟を起こしたのは歌謡曲「忠武港へ帰れ」(1970年発表)の作詞者キム・ソンスル(芸名:キム・ヘイル)の母親で、黄善友に対して1億7800万ウォンの損害賠償の支払いと日刊3紙に弁明広告を出すよう求めるものだった。「忠武港へ帰れ」の歌詞では兄弟ではなく別れた恋人を歌っていた。作詞者キム・ソンスルはこの曲を発表した後に軍へ入隊し、休暇中の1971年12月24日、大然閣ホテル火災事故で死亡した。2006年、ソウル西部地方裁判所民事12部は原告に3000万ウォンの支払を命じる原告一部勝訴の判決を下した。しかし原告側は不服とし控訴、2007年、原告側が主張した日本国内著作権料などを考慮して1億6000万ウォンとした。原語版には、以下の釜山名所が織り込まれている。

出典:wikipedia

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