楊守敬(よう しゅけい、"Yang Shoujing"、1839年 ‐ 1915年)は、清末の学者。字は惺吾、号は鄰蘇。湖北省宜都出身。1862年に挙人となり、1865年には景山宮学教習となった。金石学に通じていたが、後に駐日公使の何如璋の随員となって来日。日本では中国国内ですでに逸文となっていた古典籍(佚存書)を収集した。帰国後は勤成学堂の総教長を務めた。鄰蘇園を築き、多くの蔵書を所有していた。欧陽詢の書風を受け継いだ能書家としても知られ、晩年は上海に寓居し、書を売って生計をたてた。また、日下部鳴鶴や中林梧竹などの能書家とも親交があった。
出典:wikipedia
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