宮川左近ショウ(みやがわさこんしょう)は、昭和期に活躍した松竹芸能所属の浪曲漫才トリオ。出囃子は『吉良の仁吉』。既に浪曲師として大看板を張っていた宮川左近だったが、松竹芸能の勝忠男と長谷川幸延が三波春夫の歌謡浪曲やタイヘイトリオの浪漫ショウ路線に刺激を受け、更にローオンレコードの加藤精一のひと声もあり、歌謡浪曲ショウ転向を決意。1958年に巡業先で4人で仮結成し、実戦を重ねて翌年神戸松竹座のトリで正式デビュー。翌年メンバー中最高齢の和夫が去り、更に翌年一夫も脱退して、妻と友人で『大中小』という浪曲漫才を始めたため、ギターの助っ人を呼んでいたが、一夫は間もなく復帰し、以降、左近・照夫・一夫の三人で固定する。「♪毎度 皆様 お馴染みの お聞き下さる 一節は 流れも清き 宮川の 水に漂う 左近ショウ…」で始まるテーマソングは広く知られて、左近の語る『姿三四郎』『無法松』『宮本武蔵』『瞼の母』『桃中軒雲右衛門』といった名調子に、各々ピンでも唸れる上声・胴間声の二人が絶妙の「間」で絡む、バランスとノリの良さは子供達にまで真似される人気を誇った。音楽的評価も高く、憂歌団やCharらとも競演歴がある。左近の声・節とともに、照夫の三味線速弾きも絶品で、ひとしきり見事な爪弾きを聴かせた後、「いやー、なんで私ってこんな巧いんかしら」と頬に手を当てて女形風に振舞ったり、また左近が節のサワリ(佳境)を唸っている合間に、一夫がスタンドマイクの前面に出て、珍妙な顔をしながら懸命にギターを掻き鳴らして邪魔をし、そこから扇子の奪い合い・叩き合いに発展するなど、細かい定番ギャグでも笑いを取った。左近と照夫の芸の上の喧嘩が絶えなかったと言われたが、過度の飲酒が元で健康を害していた左近が体調を崩し1984年に一度浪曲大会で復帰したこともあったが1986年に死去し、トリオは消滅。照夫は弟子・光夫とのコンビ『暁照夫・光夫』で三味線漫才を続ける一方、一夫は『おもろない節』と称して歌謡曲の世界に入った後、現役時代から手掛けていたミナミの飲食店の経営に専念していたが、映画『水の女』(2002年)に浪曲好きの銭湯経営者役で出演し、久方振りに表舞台に顔を見せた。落語家の二代目笑福亭松之助は一時期、芸人仲間を従えて『寺川右近ショウ』というパロディをやっていた事がある。他にも桂吉朝(左近役)・桂都丸(現在の桂塩鯛、一夫役)・桂む雀(照夫役)が「平成紅梅亭」(読売テレビ)でパロディをやった。2015年には照夫の弟子である光雄(師匠と共に2013年改名、左近役)・あきら(一夫役)・明夫(照夫役)が道頓堀角座開場2周年興行や師匠の追悼興行でパロディを披露した。
出典:wikipedia
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