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マルシンヴィラーゴ

マルシンヴィラーゴは日本のアングロアラブ競走馬。1990年代前半のホッカイドウ競馬で活躍した。2000年以前の馬齢は旧表記を用いる。半兄イソナンブはホッカイドウ競馬、南関東公営競馬で活躍し、全日本アラブ争覇、楠賞全日本アラブ優駿などを優勝した。全日本アラブ争覇では兵庫のローゼンタイムを2着に下していたが、この競走を観戦していた生産者はローゼンタイムのスピードも評価しており、イソナンブの母マンナクイーンの交配候補と考え、ローゼンタイムが種牡馬となった際に交配された産駒の一頭がマルシンヴィラーゴであった。マルシンヴィラーゴの「ヴィラーゴ」 () とは「じゃじゃ馬」という意味であるが、その名に違わずさまざまなエピソードを残している。癖馬のため騎乗者は限られ、デビュー前の調教では突然逆走してほかの馬と衝突、マルシンヴィラーゴも大怪我を負ったが、衝突した馬は殺処分となってしまった。また厩舎の馬房では壁を蹴る癖があるため緩衝材として畳を敷いたが、3日で使い物にならなくなってしまったという。しかし3歳となった1992年にデビューすると4連勝で重賞競走のジュニアチャンピオン(岩見沢競馬場)を優勝。兄イソナンブとの兄弟制覇を目指すべく川崎競馬場の全日本アラブ争覇に遠征した。陣営はレコードタイムを破ってみせると宣言したが、地元川崎の関係者はホラを吹いていると考え相手にしなかった。しかしレースでは2着のランドアポロに12馬身差と推測される圧勝劇でレコードタイム1分40秒1(ダート1600メートル)を記録、川崎の関係者を驚かせた。競馬のレコードタイムは3歳(現表記で2歳)と4歳以上(古馬。現表記で3歳以上)との馬齢別に記録が分かれるが、川崎競馬場では馬齢別の記録を用いていないため価値は高いものであった。4歳となった1993年は楠賞全日本アラブ優駿を目指すべく園田競馬場に遠征した。競馬場での調教は日中は競馬開催を行う関係もあり早朝に行われるが、マルシンヴィラーゴはほかの馬がいると調教にならないため、ほかの馬が馬場入りする前の深夜に暗がりの中で行われたという。楠賞のトライアル競走である若葉賞を優勝したが、本番の楠賞では7着と初の敗戦となった。優勝したのは荒尾競馬場のダイメイゴッツで、荒尾所属としては初の楠賞優勝でもあった。その後は北海道に戻りアラブ優駿を優勝したが、翌年の銀杯(岩見沢競馬場)7着を最後に引退した。引退後は生まれ故郷で繁殖牝馬となったが、牧場では競走馬時代のじゃじゃ馬ぶりは影を潜め、すっかり大人しい牝馬になったという。繁殖牝馬としては荒尾競馬場の門松賞を優勝したマルシンランサー、福山競馬場のクイーンカップ、銀杯を優勝したデザートビューが重賞優勝馬となっている。2003年没。

出典:wikipedia

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