井上 幾太郎(いのうえ いくたろう、 1872年2月18日(明治5年1月10日) - 1965年5月7日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。山口県出身。農業、井上清蔵の二男として生れる。山口町開導学校を経て、1893年7月、陸軍士官学校(4期)を卒業。日清戦争では工兵第5大隊小隊長として出征。1896年11月、陸軍砲工学校を卒業し、陸士教官を経て陸軍大学校に入学。在学中の1900年7月、義和団の乱に工兵第5大隊中隊長として出征、同年12月、陸大(14期)を卒業した。参謀本部員、参謀本部付(ドイツ私費留学)を経て、日露戦争に第3軍参謀として出征した。旅順攻囲戦において、坑道掘りによる攻撃を献策した。戦後、ドイツ駐在、参謀本部員(要塞課)、工兵第10大隊長、陸軍省軍務局工兵課長、軍事課長などを経て、1916年8月、陸軍少将に進級。陸軍運輸部本部長、交通兵団司令部付(臨時軍用気球研究会幹事)、初代航空部本部長を歴任。1920年8月、陸軍中将に進級し、第3師団長、軍事参議官、航空本部長を経て、1927年2月、陸軍大将となり、1933年3月、予備役に編入された。1937年2月、帝国在郷軍人会の最後の会長となった。
出典:wikipedia
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