ライアン・ジョゼフ・ブラウン(Ryan Joseph Braun, 1983年11月17日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス出身のプロ野球選手(外野手)。現在は、MLBのミルウォーキー・ブルワーズに所属している。ニックネームは「ヘブライ・ハンマー/Hebrew Hammer」。Braunの発音は実際にはブローンに近い。に打率.388・18本塁打・76打点を記録し、アトランティック・コースト・カンファレンスの最優秀三塁手に選出され、ゴールデンスパイク賞の最終選考の1人にノミネートされた。2005年のMLBドラフトでミルウォーキー・ブルワーズから1巡目(全体5位)に指名を受け、契約金245万ドルで入団。2月に発表されたベースボール・アメリカの有望株ランキングではヨバニ・ガヤルドに次ぐ2位の評価を受け、開幕メジャー入りを期待されたが、AAA級のナッシュビル・サウンズで開幕を迎えた。ナッシュビルでは34試合の出場で、打率.342・10本塁打・22打点を記録し、5月にメジャー昇格。5月25日のサンディエゴ・パドレス戦でメジャーデビューし、初安打となる二塁打を放ち、初打点も記録した。翌26日にはジャスティン・ジャマーノからメジャー初本塁打を放つなど、4打数3安打の活躍を見せた。6月には1試合4安打を2度記録するなど、打率.382、6本塁打、ナショナルリーグ新人最多となる21打点を記録し、ルーキー・オブ・ザ・マンスに選出された。7月も好調が続き、27試合に出場してリーグトップの11本塁打を記録。ほかにも12試合でマルチヒット、1試合3安打を4度記録するなど、打率.345、同2位の25打点の成績を残した。2か月連続のルーキー・オブ・ザ・マンスに選出されると共に、プレイヤー・オブ・ザ・マンスにも選出され、史上初めて2つの賞を同時受賞した。最終的には113試合の出場で、規定打席不足ながら打率.324・34本塁打・97打点といずれもナ・リーグ新人最高の成績を残した。特に長打率は.634を記録し、これはチームメイトのプリンス・フィルダーを凌ぐリーグ1位。新人としては1987年のマーク・マグワイアを抜き、メジャー史上最高となる数値であった。対照的に守備面では26失策と課題が残った。新人王の投票では2位のトロイ・トゥロウィツキーとは僅か2ポイント差ながら選出された。はマイク・キャメロンをFAで獲得したこともあり、ブラウンをレフトにコンバートし、2007年はセンターを守ったが元々は内野手であるビル・ホールをサードで起用。5月16日には8年総額4,500万ドルで契約延長した。この契約はジェフ・スーパンの4年総額4,200万ドルを上回る球団史上最高金額で契約年数も球団史上最長となった。オールスターゲームのファン投票でチェイス・アトリーに次ぐリーグ2位となる3,835,840票で選出された。151試合に出場し、打率.285と前年より4分近く下がったが、37本塁打・106打点、リーグ最多の83長打を記録し、チームのワイルドカード獲得に貢献。フィラデルフィア・フィリーズとのディヴィジョンシリーズでは打率.313を記録したが、チームは1勝3敗で敗退。シルバースラッガー賞を初受賞し、MVPの投票ではアルバート・プホルス、ライアン・ハワードに次ぐ3位に入った。開幕前の3月に、第2回WBCのアメリカ合衆国代表に選出された。シーズンでは打率.320・32本塁打・114打点・20盗塁、リーグトップの203安打を記録。は打率.304・25本塁打・103打点で、本塁打が初めて30本に届かなかった。4月21日、2016年から5年総額1億500万ドルで契約を延長。同年限りでFA移籍が確実視されていたフィルダーとは対照的に、2020年までブルワーズでプレーすることが決まった。8月31日のセントルイス・カージナルス戦でランニング・ホームランを狙った際、三塁を回った所で2度転び、タッチアウトになった。終盤までホセ・レイエスと首位打者を争い、打率.332・33本塁打・111打点・33盗塁を記録し、トリプルスリーを達成し、長打率とOPSの二部門でナショナルリーグで1位を記録し、チームの29年ぶり、ナショナルリーグ移籍後初の地区優勝の原動力となった。アリゾナ・ダイヤモンドバックスとのディビジョンシリーズでは打率.500・1本塁打を記録した。カージナルスとのチャンピオンシップシリーズでも打率.333・6打点を記録したが、2勝4敗で敗退しリーグ優勝はならなかった。MVPを受賞し、名実共にメジャーを代表する選手の1人になった。は本塁打王のタイトルを獲得し、塁打、OPSと合わせて三部門でナショナルリーグで1位を記録した。打率.319(リーグ3位)、本塁打41(リーグ1位)、打点112(リーグ2位)を記録し三冠王級の活躍だっただけでなく、盗塁も30個(リーグ9位)記録し、メジャー史上9人目の40本塁打30盗塁、そして、ブラディミール・ゲレーロ以来(2001年、2002年)の2年連続のトリプルスリーを記録した。2月27日に、第3回WBCのアメリカ合衆国代表に選出された事が発表され、代表入りしている。シーズンでは、7月22日、薬物違反によりシーズン終了まで65試合の出場停止処分が下された。この年は61試合に出場し、打率.298・9本塁打・38打点・4盗塁 (5盗塁死) という成績を記録。メジャーデビュー後では初めて2ケタ本塁打に届かず、打率も5年ぶりに.300を切り、出場停止処分の影響もあって非常に低調な成績に終わった。は、右翼手となり135試合に出場して2年ぶりに規定打席到達を果たした。打率.266・19本塁打・81打点・11盗塁という一定の成績を残したが、過去の水準と比べると低レベルな成績に終わった。本塁打・盗塁ともに2年連続で30に届かなかった。、3年ぶりにオール・スターのメンバーに選出された。また、本塁打と盗塁がいずれも3年ぶりに20を超え、過去2シーズンと比べると復活を見せる。10月下旬に行われたドーピング検査でテストステロンに陽性反応を示していたことが12月10日にESPNによって報じられた。2012年2月23日、採取された尿の管理体制に不備があったという抗議が認められ、陽性反応という事実は残ったまま出場停止は免れることになった。1月、バイオジェネシス・スキャンダルが発覚し、フロリダ州マイアミのアンチエイジングクリニックを経営する自称医師のアンソニー・ボッシュから禁止薬物の提供を受けていたと報じられた。ブラウンは「異議申立ての際に、専門家に助言を貰うために相談しただけ」と釈明したが、「そのような重大な問題なら、なぜチームドクターを介さず、無資格の人物に相談したのか」という追求を受け、逆に疑惑を深める結果になってしまった。その後、ボッシュの手書きメモにアレックス・ロドリゲス、メルキー・カブレラ、フランシスコ・セルベーリと共にブラウンの名前が発見され、支払った代金と思われる記述が見つかった。7月22日にこれまで否定していたクリニックからの禁止薬物購入について認めて謝罪し、本来の処分2回目100試合から短縮された、シーズン残り65試合の出場停止処分を受け入れた。2011年にMVPを受賞していたが、その時2位だったマット・ケンプから「MVPは剥奪されるべきだ」と批判された。リーグMVP1回、シルバースラッガー賞5回を受賞しているメジャーを代表する外野手の一人。毎年打率.300、30本塁打、100打点の高水準を期待することができる。足も速く、2011、2012年と二連連続で30盗塁以上を記録し、トリプルスリーを達成した経験もある。その一方守備は平均以下で、デビューした2007年は三塁手としてリーグ最多失策を記録した。2008年からの外野転向後も、一度もDef指標でプラス数値になったことがない。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。