大阪プロレス(おおさかプロレス)は、大阪を中心に活動するプロレス興行会社。1999年3月4日、みちのくプロレスを退団したスペル・デルフィンが設立。4月29日、なみはやドームで旗揚げ戦を開催。大阪を中心に活動するプロレス団体は全日本プロレス協会以来、約43年ぶりとなる。大阪に常設会場を構えて地元大阪色を強く打ち出している。えべっさんやくいしんぼう仮面のような大阪名物をモチーフにした覆面レスラーが多く楽しさを中心においたコメディ色の強いお笑い試合を行う一方でルチャリブレの要素を多く取り入れたスピーディーなプロレスを行っている。なお老若男女誰もが楽しめるように流血や危険な凶器攻撃を禁止している。ロゴマークはデルフィンがテレビ東京の番組「開運!なんでも鑑定団」に出演した時に司会者の石坂浩二に直談判してデザインしてもらったものである。マスクデザイン・コスチュームデザインは主に中川カ〜ルが担当。2003年、ファミリー層を中心とした客層を獲得しているが数度の大量離脱やフェスティバルゲートの倒産に見舞われて、かつて確執のあった、みちのくプロレスと対抗戦を行なうなど団体としては正念場を迎えた。長年、正規軍とルード軍(LOV→FLUXxx→岸和田愚連隊→武侍漢、ぶらいかん→ベンダバル)の抗争が売りで特にブラックバファローはルード軍のわずかな消滅時期を除き一貫してルードとしてデルフィン等と対決してきた。2006年、みちのくプロレスからGAINAとレフェリーのテッド・タナベを移籍させた事にベンダバルだけでなくNew Regular Membersの選手達からもデルフィンを批判する意見が飛び交う。そのGAINAはデルフィン派から離脱してルード軍「バッドフォース」を結成して主にベンダバルとの抗争が激化していたがベンダバルも解散して正規軍とバッドフォースの本来の善悪抗争が主流となっている。なおもともとスキルの優れているレフェリーのタナベも正統に試合を裁いていた。2014年3月1日、全試合終了後に後述する常設会場が閉鎖される4月20日を最後に所属選手、レフェリー、リングアナウンサーが全員退団することを発表。4月29日、新体制のもとで旗揚げ15周年記念大会をIMPホールで開催。今後はプロレス興行会社として活動していく。土曜日に開催する正規軍とルード軍の抗争試合などの連続ドラマ的要素などの試合が主軸となる。通常の試合が3試合、楽しい試合が2試合の構成が多い。日祝日に開催する楽しさを前面に押し出している。通常の試合が2試合、楽しい試合が3試合の構成が多い。常設会場は最初はフェスティバルゲートに大阪デルフィン・アリーナの愛称で置かれていたがフェスティバルゲートの今後の動向が不透明であることから2007年8月をもってフェスティバルゲートから撤退して9月8日に新たな常設会場として道頓堀にデルフィン・アリーナ道頓堀を設立(同じフェスティバルゲートにあった本社機能も同時に移転)。それにより運営会社である大阪プロレス株式会社代表取締役会長に関西を地盤に焼肉店「喰喰」などを展開するハンジョー代表取締役社長の阪上雄司が就任。その後、スペル・デルフィンが沖縄プロレスを設立して、そちらの経営に事実上専念する形となり大阪プロレスの興行にほとんど出場しなくなったこと大阪プロレスが2009年に旗揚げ10周年を迎えることから同年に入り会場の新名称の公募を行ったうえで5月に名称を大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナに改名。アリーナでは原則として月曜日を除く毎日興行が打たれており週1回は平日昼間にも興行を開催している。2012年10月20日に大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナを閉鎖。11月17日に梅田ピカデリー2のあったプラザ梅田ビル8階に新会場「ナスキーホール・梅田」をオープン。移転後は定休日が火曜日に変更。しかし他団体利用の減少や大阪プロレスの観客動員伸び悩みを理由に2014年4月を以って閉鎖して巡業形態に移行することを発表。なお大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナは2013年より名称を道頓堀アリーナ」と改められて同年に退団した空牙が設立した道頓堀プロレスなどで使用されていたがナスキーホール・梅田より一足早い2014年3月2日に閉鎖。
出典:wikipedia
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