2007年の日本シリーズ(2007ねんのにっぽんシリーズ、2007ねんのにほんシリーズ)は、2007年10月27日から11月1日に行われたセントラル・リーグクライマックスシリーズ勝利チームの中日ドラゴンズと、パシフィック・リーグクライマックスシリーズ勝利チームの北海道日本ハムファイターズによる第58回プロ野球日本選手権シリーズである。クライマックスシリーズの導入により、これまでのリーグ優勝チームによる対戦方式から、レギュラー・シーズン上位3球団を対象としたプレーオフを勝ち抜いたチーム同士が日本一の座をかけて争う方式となった。そのため、必ずしもリーグ優勝チームが出場するとは限らなくなった。今回の対戦は、パ・リーグレギュラーシーズンに優勝し、かつクライマックスシリーズでも勝ち上がったトレイ・ヒルマン監督率いる北海道日本ハムファイターズと、セ・リーグレギュラーシーズンは2位に終わったがクライマックスシリーズを勝ち上がった落合博満監督率いる中日ドラゴンズとなり、前年度と同じ顔合わせになった。2年連続で同一カードで日本選手権シリーズを開催するのは1992・1993両年のヤクルトVS西武以来、14年ぶり。また、初めて北海道での開幕となった。第5戦は11月1日に行われ、1993年以来14年ぶりの11月開催となった。初戦は日本ハムが取ったが、その後は中日が4連勝。前年度とまったく逆のパターンでリベンジを果たし、1954年以来53年ぶり2度目の日本一を地元ナゴヤドームで達成。落合は、監督として3度目の日本シリーズ出場で初めてチームを日本一に導いた。前年と同じ顔合わせで勝者と敗者が入れ替わった日本シリーズは2回目である。また、日本プロ野球史上初めて、リーグの優勝球団ではないチームが日本シリーズを制した。第5戦では、中日の山井大介投手が先発投手として8回パーフェクトピッチングを行い日本シリーズの新記録(過去の最高記録は村山実(阪神)の7回1/3)。山井大介と岩瀬仁紀との継投による完全試合は、参考記録ではあるが日本シリーズおよび日本プロ野球史上初である。この日本シリーズ優勝によって、中日ドラゴンズは第3回KONAMI CUP アジアシリーズ2007の日本代表チームとして出場する権利を得た。10月27日 ○日本ハム3-1中日●(札幌ドーム)オーダー日本ハムが初回、セギノールの3ラン本塁打で先制。この初回の3点をダルビッシュが日本シリーズタイ記録の13奪三振(1999年第1戦の工藤公康・当時ダイエー以来)を奪う力投。完投してその3点を最後まで守り切った。中日先発・川上も初回のセギノールの本塁打と8回の単打のわずか2安打以外は1回2死から8回1死まで21人の打者を連続で無安打に抑えて追加点を許さなかった。しかし、中日打線はダルビッシュの前に4安打するも、森野の犠牲フライによる1得点のみに終わった。また、8回表に代打で出場した中日・堂上剛(結果は三ゴロ)は、父親・照(当時・中日)もシリーズ出場(1982年・対西武、投手として4試合登板)を果たしており、史上初めての親子での日本シリーズ出場となった。10月28日 ●日本ハム1-8中日○(札幌ドーム)オーダー中日が初回、盗塁をはさんだ2安打と森野の犠飛で1点を先制。4回表に日本ハム先発・ライアン・グリンが3連続四球。中村紀のタイムリー二塁打などで3点を追加。その裏、セギノールのソロ本塁打で一点を返されたが、その後も6回に李炳圭の2ラン、7回に森野の2ランで点差を広げた。先発・中田賢一は8回まで日本ハム打線をわずか3安打、失点はセギノールの本塁打による1点に抑えた。グリンは3連続四球を与えたところから崩れ、後続の投手も勢いを止められなかった。4回表に日本ハムのグリン・吉川の二人が与えた5四球は、1イニング与四球のシリーズ新記録。10月30日 ○中日9-1日本ハム●(ナゴヤドーム)オーダー中日が初回、ウッズのタイムリー安打を皮切りに6本のタイムリー安打を集中させて7点を奪い、2回にも谷繁のタイムリー二塁打で2点を追加、序盤で試合の大勢を決めた。先発・朝倉健太は大量リードにも守られ、走者を出しながらも粘りの投球で7回を1失点にまとめた。日本ハムは先発・武田勝が打者6人・1/3回でKO、2番手に先発要員のスウィーニーを登板させるものの、中日打線の勢いは止められなかった。また打線も決定打が出ず、9安打を放ちながらも僅か1点に終わる拙攻だった。中日が1回裏に記録した1イニングでの7打数連続安打はシリーズ新記録。また、ウッズがシリーズ4つ目の併殺打を喫し、1988年の宇野勝(中日)に並ぶシリーズタイ記録。10月31日 ○中日4-2日本ハム●(ナゴヤドーム)オーダー中日が初回、小谷野のタイムリー失策などで2点を先制するが、日本ハムは4回表に金子誠のタイムリー二塁打で1点を返すと、続く5回表には押し出し四球で同点に追いついた。しかしその裏、中日は一死満塁とし、ウッズの打席で吉川の暴投により勝ち越しに成功。7回裏には3番手の武田久から中村紀がタイムリー安打を放ってダメ押しの得点を奪った。日本ハム先発・吉川は立ち上がりこそ不安定だったが、2回以降は立ち直った。しかし自らの暴投で決勝点を与えてしまい、粘りきれなかった。また打線も、中日を上回る7安打をマークしながらも、主砲・セギノールとの勝負を避けられ、5番・小谷野が3度の得点圏で2度凡退するなど、打線の繋がりを欠いた。11月1日 ○中日1-0日本ハム●(ナゴヤドーム)オーダー中日は2回、平田の犠牲フライで1点を先制し、結果的にこの1点が決勝点となり53年ぶりの日本一を達成。レギュラーシーズン1位以外の球団が日本一を達成したのは2004年の西武、2005年のロッテ(いずれも2位)に次いで3回目であり、セ・リーグのチームでは初の事例となった。だがこの試合、中日の先発・山井大介が8回を一人の走者も許さないパーフェクトペースであったが、9回は落合監督が守護神・岩瀬に交代させる。先発投手が被安打0のまま交代するのは、1999年第3戦の永井智浩(ダイエー)に次いで2人目であり、四死球などの走者も1人も許さずに交代したのは山井が史上初。結果的に岩瀬は3人で締めて、継投による完全試合(NPBでは参考記録扱い)を達成したものの、山井から岩瀬への継投を行った落合監督の采配については、スポーツマスコミや野球評論家などを中心に、野球ファンの間でも賛否両論が巻き起った。※日本シリーズでは最優秀賞に選ばれた選手に対し、1954年から長らく自動車(原則トヨタ自動車協賛。広島カープの優勝時は資本関係上マツダ協賛)が贈られてきたが、この大会からそれがなくなり、賞金と自動車以外の各商品となった。※第6戦以降は、第6戦・第7戦ともにHTB・テレビ朝日系列の予定だった。※NHKラジオ第1については海外向け国際放送のNHKワールド・ラジオ日本でも同時放送された。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。