『神奈川沖浪裏』(かながわおきなみうら)は、葛飾北斎が制作した木版画である。1831年(天保2年)頃 に出版された名所浮世絵の連作『富嶽三十六景』の一つで、巨大な波と翻弄される舟の背景に富士山が描かれている。北斎の作品の中では最も有名であり、世界で知られる最も有名な日本美術作品の一つである。「神奈川沖波裏」とも表記される。この作品は、縦 25.7 cm・横 37.9 cm の大判横絵として作られている 。大波、3隻の船、背景の富士山、と3つの要素で構成されている。構成は左上隅にある署名によって補完される。富嶽三十六景の主題である富士山が画面中央下部に背景として描かれる。日本において富士山は、神聖にして国家の象徴、美の象徴と考えられている。本来雄大なはずの富士山は小さく描かれ、前景の大波の豪快さと対比させている。地平線付近の暗い色と、雪に覆われた山頂が明るく照らされているかのように見えることは、太陽が観覧者の側から昇り早朝であることを示唆する。上空の積乱雲は嵐を示しているが雨は降っていない。画面内には大波に翻弄される3隻の船が描かれる。この船は当時活魚輸送などに使われた押送船である。船ごとに櫂にしがみつく8人の漕ぎ手が居り、船首には2人以上の乗客が見え、画面内に居る人間は約30人である。人々は船の中で硬直し、動的な波との対比を見せている。海は荒れ狂い、波の波頭が砕けるその瞬間を切り取っている。波の曲線は弧を描き、背景の富士山を中心とする構図を形作る。波頭から飛び散る波しぶきは、まるで富士に降る雪のようでもある。奥の舟と波高はほぼ等しく、押送船の長さは一般的に12mから15mであり、北斎が垂直スケールを30%引き延ばしていることから、波の高さは10mから12mと推測できる。この波は時として津波と解釈される事がある。このような解釈は比較的最近で早くても1960年代以降のことである。それ以前の130年間は通常発生する波として解釈されてきた。北斎の存命中には関東・関西には大きな津波は発生していないが、過去の大津波や1792年九州で起きた肥後迷惑の様子を伝え聞いていた可能性はある。しかし本作品に書かれる波は波長が短く津波の描写では無い。画面左上の署名(落款)は、題名と署名からなる。縦長長方形の枠内に書かれた題名は「"冨嶽三十六景 / 神奈川沖 / 浪裏" 」。その左に書かれた署名は「"北斎改爲一筆" 」とあり、直前に「北斎」から「為一」(いいつ)へと改号していたことが分かる。北斎はその生涯に30回改号している。富嶽三十六景ではこの「"北斎改爲一筆" 」のほか、「"前北斎爲一筆 "」及び「"北斎爲一筆 "」の署名を使用している。最新摺絵の版木の摩耗状態から明らかに数千枚は摺られており、当時から人気が高かった事がうかがえる。その内数百枚が現存しており、これまでの研究によれば、現存する本作品の摺絵は世界で上位20位くらいに入っていることが示唆されている。摺絵の多くは日本や欧米の主要な美術館に所蔵されているほか、個人収集家の所蔵品も存在する。現代でもオリジナル摺絵を入手することは可能である。2003年3月7日にユゲットベレスコレクションから摺絵の1枚が競売にかけられ23,000ユーロの値がついたほか、2002年には本作品を含む冨嶽三十六景の46枚セットが135万ユーロで競売に掛けられた。摺絵の一部は1870年代後半にはヨーロッパに渡った。印象派の画家ゴッホが絶賛し、作曲家ドビュッシーが交響詩『海』を着想するなど、欧州の芸術家達に影響を与えた。20世紀以降もその国際的な著名度と印象の強さから、広く商業広告や大衆文化に使用されている。
出典:wikipedia
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