ビリー・コブハム(Billy Cobham、1944年5月16日-)は、パナマ系アメリカ人のドラマー。主にジャズ/フュージョンの分野で活動しており、マイルス・デイヴィスやマハヴィシュヌ・オーケストラとの仕事で知られる。なお、名字は「コバム」と読むのが正しい。パナマで生まれ、3歳の時に家族と共にアメリカ合衆国ニューヨーク州へと移住。幼少期からドラムに親しみ、7歳の頃には現在の奏法に疑問を感じて、オープンハンド奏法に切り替えたというエピソードを持つ。1965年から3年間、アメリカ陸軍内のバンドでプレイした後、1968年にホレス・シルヴァーのバック・バンドに加入。同年にはジョージ・ベンソンのアルバムにも参加した。1970年にはブレッカー・ブラザーズや、ジョン・アバークロンビーらと共に、DREAMSというグループに参加、2枚のアルバムをリリースした。また、アフロ・アメリカンのリズムを要求していたマイルス・デイヴィスに誘われて、『ビッチェズ・ブリュー』・セッションの「Feio」(後にCDに収録)や、ジョン・マクラフリンと参加した1970年のアルバム『ジャック・ジョンソン』で演奏を残している。他にもセッションマンとして1970年から、クリード・テイラーのCTIレコードの作品の数々のレコーディングに関与した。1971年から1973年にかけて、ジョン・マクラフリンのマハヴィシュヌ・オーケストラのメンバーとして活動し、『火の鳥(Birds of Fire)』などのレコーディングに寄与。1973年にはマクラフリンとカルロス・サンタナとのツアーとレコーディング作品『魂の兄弟(Love, Surrender & Devotion)』、また同年に、ヤン・ハマー、トミー・ボーリン、リーランド・スカラーを従えて、初のリーダー・アルバム『スペクトラム』を制作・発表した。このアルバムは評判を呼び、ギタリストのトミー・ボーリンがディープ・パープルに加入するきっかけにもなった。1974年から1976年にかけて、アバークロンビーやブルガリア出身のピアニスト、ミルチョ・レヴィエヴらとアトランティック・レコードからリーダー作品をリリースした。熱狂的な人気を誇ったニューヨーク在住のプエルトリカンによるサルサ・ミュージックのスーパー・グループ、ファニア・オールスターズに参加して、1974年のザイール公演や翌1975年のシェイ・スタジアムでのコンサートにもドラマーとして名前を連ねた。これらは映像作品として『ソウル・パワー』、「Live At Yankee Stadium」などの記録があり、また1976年には、ジョージ・デューク、ジョン・スコフィールド、アルフォンソ・ジョンソンらとライヴ・バンドBill Cobham/George Duke Bandを結成、こちらもモントルー・ジャズ・フェスティヴァルの映像、録音作品を残している。この時期、プロデューサーとして、アイアート・モレイラの「Virgin Land」、マーク=アーモンドの「To the Heart」などのアルバム作品を手がけている。1977年からはCBSと契約してリーダー作品をリリースし、1980年代には、バンド・メンバーとして、再びマハヴィヌシュ・オーケストラ、スタンリー・クラーク&ジョージ・デュークのClarke Duke Project、クリームのジャック・ブルースとの、Jack Bruce & Friendsや、アルフォンソ・ジョンソンとともにグレイトフル・デッドのボブ・ウェアとの、Bobby & the Midnightsなどのグループに参加した。なお、1998年にはグレイトフル・デッドの曲を演奏するインスト・ジャムバンド、Jazz is Deadにも再びジョンソンとともにメンバーとして加わっている。1980年代半ばにGRPレコードからソロ作品をした後に、1990年代以降、英国・ヨーロッパの若いミュージシャンとの作品を制作、ケニー・バロン,ロン・カーターからなるピアノ・トリオ、アート・オブ・スリーを披露した。2000年代には"Drums & Voice"というプロジェクトを開始。この40年で、スタンリー・タレンタイン、フレディー・ハバード、ガボール・ザボやジェームス・ブラウン、ポール・ウィンター・コンソート、ピーター・ガブリエルらといった多様なミュージシャンの作品に参加してきた。現在はスイスに居を構え、リーダー作品制作を中心に活動している。
出典:wikipedia
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