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浮雲 (ギタリスト)

浮雲(うきぐも、1978年10月7日 - )は、千葉県出身の日本のミュージシャン、ギタリスト。本項では、本名の長岡 亮介(ながおか りょうすけ)名義の活動についても併せて記述する。長岡亮介名義で、2005年から自身がフロントマンを務めるバンド「ペトロールズ」においてリード・ボーカルとギターを担当。また浮雲名義で、2005年から2012年までロックバンド「東京事変」の2代目ギタリストとして活動した。千葉県の公団住宅に生まれ育つ。幼少時にピアノを習い始める。また父親が趣味でブルーグラスをたしなんでおり、幼いころからその類の音楽に親しむ。中学1年生の時に、部活動(バレーボール部に所属)とは別のクラブ活動でギタークラブに所属してギターを始める。高校時代よりカントリーバンドに参加し、様々なミュージシャンとの演奏を重ねる。大学在籍中にギタリストとして活動を始め、ソニーミュージック主催のR&B、AOR系のオーディション「NEWDIGSOUL Audition」に参加。本格的なプロミュージシャンへの道を歩み出す。2000年頃より、椎名純平のバンド「The Evil Vibrations」のギタリストとして活動する。2002年4月と5月、椎名林檎・椎名純平兄妹らとともに「邪(よこしま)」というバンド名でTOTOの楽曲「Georgy Porgy」をカバーし、ネット配信する。担当はリード・ボーカル(メイン・パートのスティーヴ・ルカサー役)とギター。2003年、椎名林檎の3rdアルバム「加爾基 精液 栗ノ花」の制作に参加。同作のアナログ盤などに収録されたボーナストラック「映日紅の花」(作・編曲)を提供したほか、ギターやボイスパーカッションを担当し、収録曲の「迷彩」のPVにも出演。また椎名とともにアルバムの文字デザインも行う。2004年、東京事変の1stアルバム「教育」において、椎名林檎のデモ・テープ制作に協力する。シングル「遭難」では、イントロ部分のギターリフにデモで弾いていた彼の案が採用された。この年、ロンドンに留学。2005年2月、ペトロールズを結成。同年夏、脱退した初代ギタリストの晝海幹音に代わって2代目ギタリストとして東京事変に加入する。その際、椎名林檎によって「浮雲」というステージネームが与えられた。2007年2月、椎名林檎が椎名林檎×斎藤ネコ名義でリリースしたアルバム「平成風俗」に参加。収録曲の「ギャンブル」ではギターを弾き、「花魁」では作詞・作曲を担当した。同年7月、東京事変の4枚目のシングル「OSCA(オスカ)」では初めて作詞・作曲を担当。2009年6月、椎名林檎の4枚目のソロ・アルバム「三文ゴシップ」の収録曲「丸の内サディスティック(EXPO Ver.)」で編曲、コーラスを担当。また、同時に発売されたともさかりえの3枚目のアルバム「トリドリ。」に「目覚め」(作詞・作曲)を提供。2012年2月29日(閏日)、所属していた東京事変が解散。2013年、RADWIMPSのフロントマン、野田洋次郎のソロプロジェクト「illion」のサポートでロンドンとハンブルクで海外でのライブを経験する。2014年10月、自身初のソロ作品「LOUNGE LOVER」(3曲入りCD)発表。11月から12月にかけて、椎名林檎のアリーナツアー「林檎博'14 -年女の逆襲-」のバックバンドに元東京事変のH ZETT Mと共に浮雲として参加。2015年、4月に台湾でソロライブを行う。同年11月、LOVE PSYCHEDELICOの香港・台湾のアジアツアー(香港最大のロックフェス「Clockenflap 2015」と台湾・国際コンベンションセンターでのワンマンライブ)のためのスペシャルバンドに参加。2016年7月、ORIGINAL LOVEの25周年記念ツアーに参加。2016年9月19日(日本時間)、リオデジャネイロパラリンピック(第15回夏季パラリンピック)閉会式の中で行われた、パラリンピック旗を次期開催地の東京に引き継ぐ式典「フラッグ・ハンドオーバー・セレモニー」の終盤、東京をアピールするパフォーマンスのバックミュージックに使用されたピチカート・ファイヴの楽曲「東京は夜の七時」のヴォーカルパートを本名の長岡亮介名義で務めた(編曲は式全体のクリエイティブスーパーバイザー兼音楽監督を務めた椎名林檎)。使用する機材には個性的なものが多いが、初めて手にしたエレキギターは"フェンダージャパンのストラト"であるとのこと。※所属バンドの楽曲は除く。

出典:wikipedia

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