LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

ミロク

株式会社ミロクは、高知県南国市に本社を置く猟銃、工作機械、木材を使用した自動車部品などを製造・販売する企業の持株会社である。ミロクの銃器製造は1892年、土佐藩鉄砲鍛冶の末裔であった鉄砲職人、弥勒蔵次により中折式(元折式)の銃器の製造が開始された事に端を発する。蔵次の息子で後にミロク工作所の創業社長となる弥勒武吉(1890年12月21日-1968年9月14日)も鉄砲職人であり、戦前及び第二次世界大戦中に日本軍向けの銃器の製造に携わった経験を元に、戦後に弟子の井戸千代亀(のち2代目社長)と共にミロク工作所を設立する。英語社名の「B.C Miroku」のBは武吉、Cは千代亀のイニシャルにちなんだものである。会社設立当初は連合国軍最高司令官総司令部により日本国内での銃器製造が禁じられていた事から、1951年までは捕鯨砲の製造が事業の主力であった。捕鯨砲自体は会社設立前の1934年より製造実績のあった製品であるが、当時ノルウェーからの高価な輸入品しか存在しなかった事や、生涯捕獲頭数9,104頭の世界記録を持ち大洋漁業の名砲手と謳われた泉井守一(1904年-2002年)の激賞を受けた事もあり、安価なミロクの捕鯨砲は評判を呼んだ。サンフランシスコ平和条約が締結され、日本が主権を恢復した1951年、国内での銃器製造の解禁と共に元折単身散弾銃の製造を開始し、翌1952年には元折水平、1961年には元折上下二連散弾銃の製造を手掛けるようになる。この時期のミロクの元折式銃器は、シンガー日鋼製と共に、川口屋林鉄砲火薬店(現:株式会社川口屋)の販売網にて、「K.F.C」ブランドでの販売が行われていた。同時期、北米市場にはチャールズ・デーリー社を通じて1963年より輸出が行われていたが、両者の販売網の元ではミロクが製造元である事を表記する事が出来なかったようで、この時期のミロク銃の多くは「B.C MY Luck」の銘が刻まれていた。1966年にはブローニング・アームズ社からの業務提携を獲得し、同社の散弾銃のOEM製造を開始。1972年に日本油脂と合弁で独自販社のニッサンミロクを設立、KFCへの商品供給を打ち切って自社ブランドでの販売体制を確立する。チャールズ・デーリー社経由での輸出も1976年には終了した。会社設立初期よりミロクを支えていた捕鯨砲も、日本の商業捕鯨が最盛期に差し掛かる1960年には生産を縮小し、猟銃生産に経営資源を集中させていった。2014年現在は自社ブランドのB.C Miroku名義の散弾銃を製造する他、ブローニング・アームズ社ブランドの散弾銃やウィンチェスター・リピーティングアームズ社ブランドの小銃(ライフル)のライセンス生産(OEM製造)も手掛けている。2004年時点で年間12万挺の製造実績があるが、うち99%が輸出に回され、国内市場への供給は1%程度である。銃器以外ではガンドリルの製造販売や、トヨタ自動車等の高級車向けの木製ステアリング・ホイールやシフトノブの供給を手掛けているが、これらはいずれも銃器造りの技術から発展したものである。2009年に国内で最後に残った競合相手であった新SKB工業が自主廃業した事で、三進小銃器製造所のようなオーダーメイド型式の小工房を除いては、国産の量産散弾銃メーカーは実質的にミロク製作所のみとなった。2014年現在では元折式上下二連散弾銃が主力製品となっている。小銃はボルトアクションのをブローニングブランドで販売しているのみで、B.C Mirokuブランドの小銃は国内向けには販売されていない。なお、若干数ではあるが欧州市場向けに上下二連散弾銃をベースにしたの輸出は行われている。ミロクの上下二連銃は、ほぼ全てがボックスロック構造で、一部の高級グレードにサイドプレート仕様が設定されている。内部構造はKFC時代は撃鉄に松葉ばねを用いた古典的なものであったが、ブローニングとの提携後の1973年にOEM製造が開始された以降は、コイルスプリングを用いた撃鉄機構に転換した。シトリ以降のミロク上下二連銃は銃身とレシーバーに前1箇所、後2箇所の合計3箇所の噛合部が設けられ、更に開閉レバーと連動した大型のロッキングボルト(閂)が銃身下部に差し込まれる事で閉鎖が完了する。こうした機構自体はウインチェスター製上下二連及び、そのOEM製造に当たっていた日本の晃電社(ニッコー)の上下二連にも類似したものが見られたが、ミロク上下二連銃は高級モデルでは銃身とレシーバーの後部2箇所の噛合部付近に可動式のヒンジが設けられ、発射時のエネルギーをレシーバーの底部を通じて銃床へ逃がす事で、射撃の反動を軽減する工夫が凝らされている。こうした構造はミロク・M5000等の日本国内向けクレー射撃専用銃にも採用されており、1992年にはバルセロナオリンピックにて、5000Tを駆る渡辺和三によるクレー射撃トラップ競技でのアジア人男性史上初の銀メダル獲得という快挙に結実するが、その一方でこうした構造は閉鎖機構の主要構造がレシーバーの下部に集中する為、クロスボルト等の閂をレシーバーの上部に持つ構造の銃と比較して、レシーバーの下部が大きく重くなりやすいという批判も一部に存在する。近年では、2004年にブローニングと共同でそれまでのミロク上下二連銃とは全く異なる内部機構を持つを開発、OEM製造を手掛けている。過去には元折単身銃や水平二連銃の製造も手掛けていたが、現在はいずれの製造からも撤退している。水平二連銃はボックスロック機構のミロク・M500などの普及価格帯のものも多く作られたが、を参考にしたとも言われる両引引金・サイドロック機構採用のミロク・F(及び後継で単引引金のミロク・SL120)が特に名高い。ホーランドやに代表される、俗にロンドン・ガンと呼ばれる英国製水平二連銃は少なくとも60,000英ポンド(2014年5月現在、日本円で約1000万円)以上の製造費用と、2年から3年の納期を要する事が常識であったが、ミロクのサイドロック水平二連銃はエジェクター付きのミロク・FEやSL120であっても1980年代後半時点で、定価120万円前後と比較的安価であった事が特筆される。元折二連銃以外では、A-Boltを参考にした20ゲージ・ボルトアクション散弾銃のミロク・MSS-20が2014年現在でも製造されており、専用銃として定評がある。過去にはポンプアクション方式のブローニング・モデル12などの製造も行っていたが、現在では撤退している。変わった所では1962年から1968年に掛けて、.38SPL弾を用いる回転式拳銃であるミロク・リバティーチーフの製造を行っていた記録が残る他、を用いる小銃のブローニング・BL22をデッドコピーしたミロク・ML22を製造していた。後者は、安価で15発装填可能な弾倉を持つ事から、オーストラリアのウサギ猟ハンターの間で人気があったという。欧米ではブローニングの製造を手掛けるミロクの自社ブランドの散弾銃は、ブローニングブランドよりも安価であるにも関わらず、一般的に信頼できるものであると見なされている。また、ミロクはウインチェスターのフォーリングブロック・アクションの小銃のレプリカを製造している事でも知名度が高い。ミロクの散弾銃は欧米では1,000米ドル程度で販売されているが、輸出向けのミロク・MK38 Teague上下二連は、競合製品のブローニング・B525やベレッタ・686Eと比較しても遜色のない性能を有していると認知されており、ブローニング・ベレッタ両社の製品ラインナップでは更に高級な価格帯のものに実装されているバック・ボアード銃身や、交換式も備えている点等も評価されているという。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。