熊澤 とおる(くまざわ とおる、1973年9月7日 - )は、埼玉県新座市出身の元プロ野球選手(外野手)。「とおる」は戸籍上の名前であり、ドラフト会議前に熊沢当緒琉に改名し、1度目の退団前まで名乗った。所沢商高時代に通算52本塁打を記録。「超高校級」と騒がれ、1991年のドラフト会議で西武ライオンズから3位指名され入団するも1998年に引退するまでの7年間で一軍出場はなかった。引退後は同球団の二軍の用具係兼サブマネージャーを担当、独学した運動動作やトレーニング方法を松井稼頭央に教え、すると松井に本塁打が飛び出し、二人の関係はより密になっていった。2005年の冬から西武時代のチームメイトであった松井の個人トレーナーとして契約。松井と練習を共にするうちに、ほかのメジャーリーガーからも練習方法を聞かれるなどしたという。2008年より一軍打撃コーチ補佐として西武に復帰し、リーグ優勝・日本一に貢献した。2009年は二軍打撃コーチ、2010年は二軍守備走塁コーチ、2011年は一軍打撃コーチ補佐を務めた。2011年オフ、退団。2013年秋に、ある球団からコーチの要職として、好条件での就任を要請された。揺れに揺れた末、熊澤は固辞する。現在は埼玉県入間市で野球塾を経営、指導に当たっている。中学時代までは原辰徳に憧れて右打ちだった。その経験が右打者への指導にも生きているという。松井稼頭央とは現役時代から練習を共にすることが多かったという。その縁もあって個人トレーナーとして契約して渡米した。西武コーチ時代に教えを受けた栗山巧や浅村栄斗は、熊澤の後押しが大きかったと振り返っている。コーチ復帰後に背番号78を選んだのは、東尾修が監督時代につけていた番号で、熊澤が東尾を慕っていたからである。
出典:wikipedia
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