足守陣屋(あしもりじんや)は岡山県岡山市北区足守(備中国加陽郡)にあった足守藩の藩庁である。足守陣屋は足守藩第5代藩主・木下利貞の時代の寛文2年(1662年)から延宝7年(1679年)の間に築かれたと言われる。木下氏は豊臣秀吉の妻の北政所おねの兄である杉原家定が木下姓を与えられたのに始まる。家定には長男勝俊、次男利房、三男延俊、小早川家の養子・小早川秀秋らがいた。慶長6年(1601年)、木下家定が足守藩2万5千石を与えられた。2代勝俊は若狭国小浜藩で6万2千石を領していたが、関ヶ原の戦い後は伏見城籠城守備から逃げ小浜藩を没収され、戦後失領し、剃髪して、長喋子(ちょうちょうし)と号した。3代利房は若狭国高浜で3万石を領していたが、西軍に属し、東軍方の加賀国大聖寺城主前田利長攻略に際し城方へ援軍を出したため、戦後除籍された。一方、木下利房は、慶長19年(1614年)大坂冬の陣で徳川方に付き、戦功を挙げたため元和2年(1616年)2万5千石で足守に入封し、お家再興がなった。11代藩主利恭(としゆき)の代に明治維新を迎えている。陣屋は足守小学校の北隣にあった。現在は公園となっていて、陣屋の建物は現存していないが、陣屋を取り囲む堀と石垣が残っている。中世の宮地山城のある宮地山を借景にした庭園「近水園(おみずえん)」には仙洞御所造営の残財で築かれた「吟風閣」が現存している。
出典:wikipedia
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