大石 正彦(おおいし まさひこ、1936年1月11日 - )は、山梨県甲府市出身の元プロ野球選手(投手)右投げ右打ち。1960年大洋V1戦士の一人。甲府商業高校時代はエースで6番打者として1952年には夏の山静大会決勝戦で矢頭高雄、西村一孔がバッテリーを組んでいた都留高校と対戦し、延長21回の末2-1で敗れ、甲子園出場ならず。1954年に当時の洋松ロビンスに入団。1年目から1軍で活躍するも、当時の大洋は万年最下位で負け数も多く、1956年には22敗を喫する。しかし1960年には先発・リリーフで活躍し、大洋初優勝に貢献。日本シリーズでも好投した。当初は巨人戦に弱く、1955年から1959年にかけて17連敗を喫する。しかし1960年の大洋初優勝時には好投した。脚力があり、7盗塁を記録している。三原監督時代には代走でも起用された。1961年のオフにアキレス腱を切断し、1962年に引退。翌年から1968年まで大洋のコーチを歴任する。退団後は帰郷し、スポーツ用品店を経営する傍ら、少年野球の指導を行った。弟の大石勝彦も同じように甲府商業から大洋ホエールズに入団した元プロ野球選手。球種はカーブ、スライダー、シュート。通算100敗以上している投手の中で、通算62勝に終わっており、これは小林経旺(46勝110敗)に次いで2番目に少ない勝ち数である。
出典:wikipedia
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