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昌キ

昌 (しょう き、? - 206年)は、中国の後漢時代末期の武将。徐州東海郡の人。別名に「昌覇」もある。諸葛亮の建興5年(226年)11月の上奏文によれば、曹操が5度攻撃して下すことが出来なかったとされる、東海の独立勢力指導者である。当初は泰山方面で活動する臧覇・孫観・呉敦・尹礼と共に、呂布の同盟者であった。なお、『三国志』魏書武帝紀は昌を泰山の将としている。建安3年(198年)12月に呂布が曹操に滅ぼされると、臧覇らと共にいったん曹操に降伏し、青州・徐州の一部を委ねられる厚遇を受けた。しかし建安5年(200年)、劉備が曹操に敗北して袁紹の下へ逃れた後に、劉備に呼応して東海で曹操に反逆した。これを曹操の部将の張遼・夏侯淵は数か月に渡って攻撃したが撃破出来なかった。それでも張遼は巧みに昌豨を説得し、降伏させることに成功する。曹操が冀州を平定した後の建安6年(206年)、昌はまたしても曹操に反逆し、今度は曹操の部将于禁・臧覇らの討伐を受ける。于禁は当初苦戦したが、夏侯淵の支援を受けて何とか昌を降伏させた。于禁は昌と旧友だったが、「法によれば、包囲されて後に降伏した者は赦されない」として、涙ながらに昌を処刑した。曹操はこれを聞いて、于禁をいっそう重んじた。ただし『三国志』注釈者の裴松之は、囚人として曹操の下に護送し、万一の大赦を期待すべきだったと、于禁の行為を非難している。 小説『三国志演義』では、昌は、孫観・呉敦・尹礼と共に泰山の山賊として登場する。呂布軍と結び、蕭関で曹操軍を迎え撃ったが、撃破される。呂布滅亡後、孫観らが曹操に降伏したにもかかわらず、昌は降伏せずに独立勢力となる。その後は『演義』から姿を消す。

出典:wikipedia

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