リトアニア社会民主党()は、リトアニアの社会民主主義政党。欧州社会党に参加している。現在のリトアニア社会民主党は、リトアニア民主労働党と(旧)リトアニア社会民主党が合併して誕生した。民主労働党は1990年まではリトアニア共産党として活動していた政党である。リトアニア民主労働党(Lietuvos Demokratinė Darbo Partija:LDDP)は、1990年12月にリトアニア共産党の改革独立派を主体に結成され、アルギルダス・ブラザウスカス(Algirdas Brazauskas)が党首に就任した。1992年の議会選挙では単独過半数を占め、ブロニスロヴァス・ルビース(Bronislovas Lubys)を首相とするLDDP単独内閣を発足させた。1993年には党首ブラザウスカスが大統領に就任した。社民主義的な党綱領を掲げ、1996年の議会選挙までLDDP単独で3つの内閣を維持・運営した。しかし、経済不況と党執行部内の汚職疑惑に因って1996年議会選挙では大敗した。旧・リトアニア社会民主党(LSDP)は、帝政ロシア時代の1880年に結成された政党を「復活」する形で1989年に結成された。経済的左派と大きな政府を志向した。その一方で、ソ連編入による抑圧の経験から同じ左派政党であるLDDPを敵視し、民族主義的側面も持ち合わせていた。1992年議会選挙では8議席、1996年議会選挙でも12議席に留まり、党内ではLDDPへの接近論が強まった。そして1999年にアンドリュカイティス(Vytenis P. Andriukaitis)が新党首に選出されたことで、LDDPとの協調路線に転換した。2000年10月に行われた議会選挙を前にした9月3日、LDDPと旧LSDPは共同党大会を開催した。両党は選挙に向け、1998年に大統領任期満了で政界を引退していたブラザウスカスを擁立し、新民主党(NDP)とリトアニアロシア人同盟(LRS)を加えた選挙連合「アルギダス・ブラザウスカス社会民主連合」(ABSK)を結成した。選挙の結果、ABSKは51議席で第1党となった。選挙直後に発足したリトアニア自由同盟(LLS)など中道諸政党による連立政権が2001年6月に瓦解した後、新同盟(社会自由派)とともに第1次ブラザウスカス内閣を発足させた。連立政権発足前の同年1月27日にLDDPとLSDPは完全合併を達成し、ブラザウスカスを党首とする新・リトアニア社会民主党が発足した。2004年の議会選挙でもLSDPは勝利し、第2次ブラザウスカス内閣を発足させた。この内閣は与党内における汚職や党内抗争が原因で2006年6月に退陣したが、新政権もLSDPのキルキラス(Gediminas Kirkilas)を首相とする政権となった。キルキラス政権は少数政権であったが、最大野党である祖国同盟=リトアニア保守党(TS-LK)の非公式な協力関係を築けたことで安定した政権運営を行うことが出来た。しかし、エネルギー政策を巡って袂を分かち、2008年の議会選挙では祖国同盟-リトアニアキリスト教民主党(TS-LKD)を中心とした右派勢力に敗北した。2009年にブトケヴィチュース(Algirdas Butkevičius)が党首に就任したことで旧LSDP出身者が初めて、新LSDPの党首となった(ブラザウスカスとキルキラスはLDDP出身)。2012年10月、議会の任期満了によって行われた議会選挙の結果、与党であるTS-LKDを上回って第1党となった。なお議会選挙と同時にヴィサギナス原子力発電所建設の是非を問う国民投票が行われたが、LSDPは費用対効果の観点から原発建設計画見直しを求めており、ヴィサギナス原子力発電所建設計画は見直しを迫られる可能性が出ている。11月22日、議会がブトケヴィチュース党首を新首相に承認したことで、LSDPを中心とした連立政権が発足する運びとなった。
出典:wikipedia
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