浪岡城(なみおかじょう)は青森県青森市浪岡(旧南津軽郡浪岡町)にかつて存在した日本の城(平城)である。1940年(昭和15)年2月10日に青森県内で初めて国の史跡に指定された。現在は跡地の北側を青森県道27号青森浪岡線が通る。北東へと続く丘陵の南端に位置し、城の南側の急峻な崖下には浪岡川と正平津川が流れていて天然の堀と水源を兼ねていた。築城以前は、1373年(文中2年)に平安京を模して敷地の四隅に祇園(現・北中野広峰神社)、八幡(現・浪岡八幡宮)、加茂(現・五本松加茂神社)、春日(現在は廃社)の各神社が配置されていた。その後、北畠家の支族である浪岡北畠氏の居城として長禄年間、応仁年間、または文明年間のいずれかに北畠氏4代北畠顕義によって建造された。中で応仁期が有力とされる。1578年(天正6年)浪岡北畠氏9代北畠顕村の代に大浦為信(後の津軽為信)によって攻められ落城した。現在、跡地には出土した遺物などを展示する「中世の館」や土塁、堀跡などがある。東西1,200m、南北600mの敷地を持ち、幅10 - 30mの二重堀で分けられた8つの館(郭)があった。各館は丘陵を掘切るように構築され、東から順に新館、東館、猿楽館、北館、内館、西館、検校館などとなっている。下にその詳細を示す。犬を連れて散歩が可能青森市浪岡大字浪岡字岡田43番地
出典:wikipedia
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