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三春屋

三春屋(みはるや)は、青森県八戸市にある日本の百貨店である。2005年(平成17年)12月1日からは、ダイエーグループの中合(本社:福島市)が「中合三春屋店」として運営している。また、かつて当百貨店を「株式会社三春屋」として運営していた会社である。永禄年間に「三春屋呉服店」として創業したのが始まりである。福島県三春町にルーツを持つ。1953年(昭和28年)3月に「株式会社三春屋」として法人化して呉服店の営業を続け、その後衣料品店に発展した。1969年(昭和44年)11月13日に、当時隣接していた店舗を構えていた八戸市初の百貨店であった丸美屋が1968年(昭和43年)6月28日に仙台の百貨店丸光(現:さくら野百貨店)と東京の月賦百貨店緑屋が進出したことなどの影響で売上が急激に減少して閉店に追い込まれ、同月15日に倒産した。そこで、清算中の丸美屋を1970年(昭和45年)に買収して増床し、同年に比較的庶民向けの百貨店を開業する運びとなった。当店が百貨店を開業した1970年(昭和45年)1月に百貨店「三萬」が閉店して郊外にスーパーマーケットのユニバースを開いたほか、翌年の1971年(昭和46年)には1月の「つきや」と既存の大型店の閉店が相次ぐ形となった。また、1971年(昭和46年)8月に「力ネ長武田八戸店」が閉店し、代わりに同社が「ニチイ」などと共同出資して同年5月に設立した「青森ニチイ」が同年10月7日に「ニチイ八戸店」を開店するなど、市街に本拠を置くチェーンの大型店と八戸市中心市街地において競争するようになった。1978年(昭和53年)には丸光(現:さくら野百貨店)と共に大規模な増床をし、1980年(昭和55年)4月19日にイトーヨーカドーが進出すると大規模なセールを展開して対抗するなど、残った最後の地場資本の百貨店として県外資本の大規模店や郊外の店舗との競争に挑み続けた。また、1980年(昭和55年)6月に岩手県水沢市の水沢駅前の魚市場跡に地上3階建て店舗面積約5,900m²の「ヤマニ三春屋」を出店したほか、一関市や久慈市などにも出店するなど多店化も進めた。しかし、1981年(昭和56年)4月に店舗をダイエーに譲渡して岩手県から撤退しており、この多店化は成功しなかった。1985年(昭和60年)に当時日本一の総合スーパーだったダイエーの支援を受けて傘下に入り、八戸の地場資本の百貨店は消滅することになった。さらに、1987年(昭和62年)には業績不振を受けて社長が交代し、1995年(平成7年)にダイエーの完全子会社となった。2000年(平成12年)6月に北海道函館市の棒二森屋を経営していた同じダイエー系の株式会社アドバンスド・デパートメントストアーズオブジャパンに吸収合併されたため、「株式会社三春屋」は消滅することになった。そして、2004年(平成16年)10月にダイエーが経営再建のため産業再生機構に支援要請を行い、2004年(平成16年)12月に支援決定されたことに伴い策定された再建計画の中で百貨店事業からの撤退と売却の方針が盛り込まれて報道されたため、八戸市長と八戸商工会議所などが連名で2004年(平成16年)12月28日に産業再生機構や経済産業大臣などに存続の要望書を提出するなどこととなった。店舗自体は黒字経営が続いていたこともあって売却されず、2005年(平成17年)12月1日にアドバンスド・デパートメントストアーズオブジャパンは同じダイエー系の中合と合併した上でダイエーを引き受け先として増資を行い、そのまま営業が続けられることとなった。そして、2010年(平成22年)7月1日に中合がダイエー以外の株主が保有していた株式を全て無償で取得した上でダイエーに取得した株式の一部を50億円で売却して債務超過を解消したため、ダイエーの完全子会社となっている。このような企業再編が行われたため、経営母体の企業は三春屋からアドバンスド・デパートメントストアーズオブジャパン、そして中合と変化したが、店舗名はこの間も変化せず現在まで「三春屋」として百貨店の営業を続けている。

出典:wikipedia

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