1999年・2001年のヤクルトスワローズのユニフォームはヤクルトスワローズが1999年~2005年までの若松勉監督時代に使用されたユニフォームのうち、1999年のみ使用された左袖球団創設50周年記念ロゴユニフォームと、同時にユニフォーム登録されたものの、実際に使用されたのが1999年の後半のみだったビジター用赤ツバ帽子・赤アンダーシャツ使用ユニフォーム、さらに2001年シーズン終盤のみ使用されたホーム用赤ツバ帽子・赤アンダーシャツ使用ユニフォームのことを指す。記念ロゴは1年のみの使用だったため、実際に短命だったが、赤ツバ帽子・赤アンダーシャツ・赤ストッキングはユニフォーム登録されたものの、使用されたのが先述の時期のみだったため解釈上短命ユニフォームとして扱った。なお、1990年~1998年までの野村克也監督時代に使用されたユニフォーム(荒川博+広岡達朗折衷型デザイン)は補足事項として扱う。1999年~2005年のユニフォームには合計6パターン存在するとされていたが、実際にその目で確認したものはいない。帽子のYsマークはYが赤でSが青。それらを白で囲むのは共通。1999年のデザインには球団創設50周年ロゴが、2000年以降はペットマークが復活し、ボールの上をツバメが飛ぶエンブレムが左袖に縫い付けられていた。1998年をもって野村監督が勇退。ヤクルト生え抜きでかつての中心打者・若松勉が後任監督に就任するとユニフォームが新調されたが、ユニフォームの変更は野村監督時代に検討され実施されることとなっていた。しかし1997年に日本一になると野村監督から「ユニフォームを変えると成績が下降するからダメ」とクレームがつけられてしまい、結局は野村監督勇退以降まで待たなければならなかった。以降、若松監督が勇退する2005年まで使用されたが、若松時代のユニフォームはバリエーションが豊富だったとされている。ユニフォームを新調した当時ヤクルトはメジャーリーグのインディアンズと業務提携しており、ユニホーム新調の際、インディアンズを含め当時メジャーリーグで流行していた多種類のユニフォームのデザイン、例えば帽子のデザイン・アンダーシャツとストッキングを複数のデザインにすることを取り入れていたが実際に使用されていたのはホーム用①とビジター用①の2種類。ホーム用とビジター用の②はついに使用されずビジター用③とホーム用②は前者1999年・2000年、後者2001年に使用されただけであった。その内ビジター用の③は1999年の後半から使用されていた。これはチームが低空飛行を続けていて気分転換のためであったが数試合使われたのみで結局この年は4位に終わる。翌2000年も上記の試合で使用された。そして2001年のシーズン終了間際にホーム用の③が登場した。この年のヤクルトは首位争いでトップに立っていたが長嶋茂雄監督率いる巨人が終盤に猛追したため、首位争いは熾烈を極めていた。9月22日からの神宮での対巨人3連戦、巨人に2連敗を喫して迎えた3戦目に流れを変える意味も込めてホーム用の③を着用したが、結果は敗戦。赤ツバ帽子、赤アンダーシャツとストッキングは1日で封印された。その後、ヤクルトは巨人の猛追を振り切り4年ぶりにリーグ優勝、日本一になったが、2001年の日本シリーズと2002年以降は赤が使われることはなかった。ちなみにヤクルトは1999年のみ球団創設50周年ロゴをつけたユニフォームを使用しているがこれは便宜上の短命だった。1990年~1998年までの野村克也監督時代のユニフォーム(荒川博+広岡達朗折衷型デザイン)の変遷は以下の通り。
出典:wikipedia
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