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春日左衛門

春日 左衛門(かすが さえもん、弘化2年(1845年) - 明治2年5月11日(1869年6月20日))は、江戸時代末期(幕末期)の幕臣(旗本)。弘化2年(1845年)、永井勘兵衛の次男として生まれる。通称は鉄三郎。慶応元年(1865年)、旗本・春日邦三郎の婿養子となる。江戸幕府旗本であり、朱子学を修めた。慶応4年(1868年)、幕府崩壊後、徳川慶喜の処分に不満を抱いた旧一橋家と各奉行の同心などが結成した彰義隊に加入し、彰義隊頭並に任命される。5月15日、上野戦争により彰義隊が瓦解すると浅草周辺に潜伏ののち、盟主である輪王寺宮を擁し、奥羽雄藩と連携共闘をするため江戸を脱し、彰義隊頭取の池田長裕とともに船にて平潟(現茨城県北茨城市)へ上陸。陸軍隊隊長として、常磐各地を転戦するが、9月に奥羽列藩同盟が瓦解し、盟主の仙台藩が降伏すると仙台へ向かい、榎本武揚率いる脱走軍に合流。箱館政府では歩兵頭並陸軍隊頭として、約30名を率いる隊長となる。明治2年(1869年)3月、新政府軍の蝦夷上陸に伴い各地で戦闘するが、圧倒的兵力の新政府軍には抵抗の術もなく、5月11日、函館亀田新道で戦死した。菩提寺は函館実行寺で、法名を潜心院殿義速日欣居士。また、東京都荒川区南千住にある円通寺境内にある死節之墓にも名が刻まれている。なお、慶応4年(1869年)に妻・路く、明治3年(1870年)に娘、明治11年(1879年)養父・邦三郎がそれぞれ死去し、春日家は断絶となっている。

出典:wikipedia

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