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宝塚ファミリーランド

宝塚ファミリーランド(たからづかファミリーランド)は、兵庫県宝塚市にあった遊園地兼動物園。阪急電鉄が経営していた遊園地で、阪急宝塚本線の終点である宝塚駅の東側にあった。駅から続く「花のみち」の南側に宝塚歌劇で有名な「宝塚大劇場」と、大浴場を備えた「宝塚大温泉」があり、北側に動植物園と遊園地があった。園内西側には戦前から続く動植物園があり、象の飼育舎やサル山、アシカの泳ぐプール、キリンの飼育舎などの動物園施設と、熱帯の植物とともに動物を飼育展示していた立体動物園があった。園内中央部から東側にかけては、ジェットコースターやメリーゴーランド、観覧車などの遊戯施設や、昆虫の標本を展示していた「宝塚昆虫館」や創業者小林一三の生家、世界各国の民族衣装を着た人形を展示していた「宝塚大人形館」、阪急電鉄の車輌の実物や模型などを展示する「電車館」、日本庭園などが設置されていたエリアがあった。園内を一周するモノレールや、東西を往復するロープウェーなどもあった。宝塚ファミリーランドの前身である「宝塚新温泉」は、箕面有馬電気鉄道の終点となった宝塚への旅客誘致を目的として、1911年に開業した。宝塚には、武庫川右岸に宝塚温泉があり賑わっていたが、左岸に新たに温泉施設を設置した。さらに翌年、宝塚新温泉の隣に食堂や演舞場、国内初の室内プール(暖房設備は無く男女共泳も禁止だったという)などのレジャー施設を設置して、「宝塚新温泉パラダイス」となった。1913年には、不人気の為に閉鎖された室内プールを改装した劇場(脱衣場が舞台でプールが客席)でのアトラクションの為、「宝塚唱歌隊」を結成、やがて「宝塚少女歌劇養成会」と改称し、のちの宝塚歌劇への第一歩を記した。1924年、前年に焼失した劇場の再建にあわせ、4000人収容の宝塚大劇場と、遊戯施設を設置した遊園地「ルナパーク」が完成、さらに1928年には「大植物園」が完成、さらに図書館や屋外プールなどが完成し、温泉・歌劇・動植物園に遊戯施設が揃った。太平洋戦争中は、歌劇の公演休止や温泉施設が軍に徴用されるなどして施設は閉鎖を余儀なくされた。飼育動物の一部は、空襲下での脱走予防のため、1944年(昭和19年)3月5日に殺処分された(戦時猛獣処分)。敗戦後の米軍による施設接収を経て、1946年には大劇場が再開されて宝塚歌劇が公演を再開、また園内の遊戯施設も順次整備され、ジェットコースターやロープウェーの設置、「宝塚交通館」(のちの電車館)も設置された。1960年、宝塚新温泉の開園50周年を記念して、動植物園や遊戯施設を含めた名称を一般から公募し、その結果「宝塚ファミリーランド」が選ばれ、以後はこの名称で呼ばれる様になった。同年には、武庫川左岸の温泉設備を拡張・整備して、「宝塚ヘルスセンター」(のち「宝塚大温泉」に改称)も開業、折からのレジャーブームとともに入園者数は増加し、関西地区屈指のレジャーゾーンとして活況を呈する様になった。1967年には、園内東側の敷地に「宝塚大人形館 世界はひとつ」が開館、さらに二重大観覧車の設置や急流すべり、お化け屋敷や屋外プールの設置も行われ、施設は充実した。1980年には、隣接する「宝塚映画」(後の宝塚映像)の敷地を利用して、完全屋内設置のジェットコースターである「スペースコースター」の設置や、「大人形館」の改築が実施された。さらに急流すべりが移築され、跡地には、屋外プール(冬にはアイススケート場としても使用された)が拡張された。一方動物園では、新たにホワイトタイガーが飼育され、繁殖にも成功し、宝塚ファミリーランドのシンボルとして人気を博した。1980年代末には、「宝塚大温泉」は役割を終えて閉鎖され、跡地は宝塚大劇場の改築に備えて駐車場などに転用された。また宝塚映画のスタジオを改装したイベントホールが設置され、様々なイベントや展示会が開催された。しかし、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンを始めとした大型アミューズメントパークの開園や、レジャーの多様化、少子化などの影響もあって、次第に入園者数は減少し始め、阪急電鉄では2003年4月7日をもって宝塚ファミリーランドの閉園を決定した。このニュースは大きく取り上げられ、閉園を惜しむ声が多数寄せられた事から、2003年4月29日からガーデンゾーンを「宝塚ファンタジーガーデン」として期間延長して営業再開した。そして、2003年8月31日をもって営業終了し、宝塚新温泉から数えて90年以上の歴史に幕を閉じた。閉園後の跡地は、整地の上でガーデン、住宅系、商業系、歌劇の4つのゾーンに分けて再開発されることとなり、このうち、ファミリーランド時代に遊戯施設などが設置されていた園内中央部のエリアが、ガーデンゾーンとして2003年9月26日にイングリッシュガーデン風の有料公園「宝塚ガーデンフィールズ」として生まれ変わった。園内西側のエリアは商業系ゾーンとして使用され、2005年4月にイタリアンレストラン「イゾラベッラ・オペレッタ・ア・タカラヅカ」が開業したほか、2005年6月中旬から7月上旬には大型ベビー用品専門店「ベビーザらス」と、フィットネスクラブ「ティップネス」が開業した。また、住宅展示場「宝塚ハウジングガーデン」としても利用されている。園内東側のエリアは住宅系ゾーンとして利用される事となり、2005年秋にも住宅地の造成を着工の予定としていたが、後一部エリアを関西学院が学校用地として取得し、2008年4月に関西学院初等部が開校した。また住宅地には大型マンションが2棟建設された。集客のメインである歌劇ゾーンは、大劇場・バウホールや駐車場を中心に再開発されるとしているが、現在のところは未定である。数々の施設が開業したため、ファミリーランドがあった頃の面影は殆どなくなってしまったが、かつての遊戯施設として唯一メリーゴーランドが残されて営業していた。2011年3月に解体され、駐車場に整備された。なお、前述の「宝塚ガーデンフィールズ」も、2013年12月24日をもって閉園されており現存していない。入園料は、大温泉・動植物園・遊戯施設共通であり、一度入園料を支払って場内に入場すると、いずれの施設ともに利用出来た。また園内では、遊戯施設を利用するための「のりもの券」が発売されており、予めそれを購入する事で、遊戯施設で現金を支払う手間を省いていた。一方、歌劇を見る場合、初代大劇場(宝塚バウホールを含む)で公演されていた頃は歌劇のチケットにファミリーランド入園料は含まれていなかった為、現地で改めて入園券を購入しなければならなかったが、2代目大劇場の開業時にファミリーランド入園料を含むように変更された。

出典:wikipedia

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