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大倉孫兵衛

大倉 孫兵衛(おおくら まごべい、天保14年(1843年) - 大正10年(1921年))は、明治から大正にかけての実業家である。家業の絵草紙屋から独立して絵草紙屋・萬屋を開店し後に大倉書店、大倉孫兵衛洋紙店(現・新生紙パルプ商事)を設立した。また、森村市左衛門との出会いから日本陶器(現・ノリタケカンパニーリミテド)、大倉陶園の設立に参加し日本の陶磁器産業に多大なる貢献をした。天保14年(1843年)江戸・四谷伝馬町の絵草紙屋・萬屋の次男として生まれる。絵草紙屋を手伝っていた孫兵衛は、開港して間もない横浜に出かけては外国人を相手に錦絵を売っていた。そのころ横浜で舶来品を仕入れて江戸の武家に売り歩いていた森村市左衛門と出会い、何度か合ううちに二人は意気投合し兄弟のような付き合いになっていった。そのような付き合いをするうちに孫兵衛は市左衛門の勧めで異母妹ふじと結婚することとなり、これを期に兄から独立し同じ屋号の絵草紙屋・萬屋を開店した。絵草紙屋・萬屋を開店した孫兵衛は同業者の中でも出来の良い錦絵や地図を取り扱い注目を受けるようになり、自らニュース報道としての錦絵を続々と刊行し出版社としての歩みが始まった。そして明治・大正期における日本を代表する出版社として葛飾北斎や歌川広重の画集をはじめ、「ことばの泉」(国語辞典)、「独和大辞典」のほか、夏目漱石の初めての単行本「吾輩ハ猫デアル」も大倉書店から刊行された。出版社として道を着々とたどる大倉書店は義弟の大倉保五郎に譲り、その後も隆盛を極めたが関東大震災で大打撃を受け、更に昭和27年(1952年)にも火災に遭うなどしてついには廃業した。大倉書店で使う輸入洋紙を仕入れに横浜に赴いた孫兵衛は利ざやの大きさに驚かされ、洋紙の販売も手がけるようになり大倉孫兵衛紙店なるものを創業した。明治22年(1889年)店名を「大倉孫兵衛洋紙店」と改めた。当時、第2次の製紙会社設立ブームが起こり富士製紙、千寿製紙、東京板紙、四日市製紙など洋紙の国内生産が激増していった時期と重なる。折しも操業が始まろうとしていた富士製紙の大株主が森村市左衛門であったことから、孫兵衛に紙を扱って欲しいとの依頼があり引き受け洋紙店の基盤が出来て行った。現在でもなお新生紙パルプ商事として歴史は続いている。義兄弟となった孫兵衛は、市左衛門が明治9年(1876年)に設立した貿易商社「森村組」に初期の段階から参加していた。

出典:wikipedia

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