愛宕神社(あたごじんじゃ)は、茨城県土浦市下高津2丁目8番1号にある神社。江戸時代は愛宕権現と呼ばれていた。旧社格は村社。旧水戸街道(現在の国道354号旧道)沿いにある神社で、桜川右岸の台地斜面に鎮座する。かつては霞ヶ浦を一望できる風光明媚な場所で、愛宕神社の御神燈が灯台の機能を果たしていたという。参道は旧水戸街道がある東向きに面し、手すり付きの階段が付いているが、裏手の常福寺から直接入ることもできる。社殿のすぐ裏手まで駐車場や墓地が迫っている。愛宕神社の参拝者用駐車場は旧水戸街道の道向かいにあり、その隣には享保18年(1733年)建立の「下高津の道標」(土浦市指定史跡)がある。江戸時代、下高津村の鎮守であるとともに、土浦城の表鬼門の守護とされた。桜川にかかる銭亀橋の先にある大町交差点の付近に、土浦城高津口(南門)が位置していた。香取神社(經津主命)、天満神社(菅原道真)、富士神社(木花咲耶姫命)、稲荷神社(倉稲魂命)の四社がある。稲荷神社は高津稲荷神社の一名がある。夏に祇園祭が行われている。毎年2台から3台の山車が出る。創建は天慶年間(938-947年)、平貞盛が戦勝祈願のために軻遇突知命の神霊を勧請したという。戦国時代、土浦城主となった菅谷伊豫守勝貞が崇敬し、祭礼を行った。江戸時代、寛文9年(1669年)に土屋数直が土浦城主になると、愛宕神社を表鬼門の守護とするために奉斎し、社殿等を改築したという。土屋数直の奉斎を延宝7年(1679年)とする資料がある。元禄12年(1699年)に社殿が焼失し、文化8年(1811年)に現存の社殿を再建した。大棟には土屋氏の家紋である三ツ石紋が配されている。明治15年4月(1882年)、村社に列格した。
出典:wikipedia
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