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下津井駅

下津井駅(しもついえき)は、かつて岡山県倉敷市下津井四丁目に存在した下津井電鉄下津井電鉄線の駅。下津井電鉄の中心の駅であり、鉄道事業部の事務所や車両基地、運転基地、工場などがあり、広い構内を有していた。モータリゼーションの進行による乗客の減少、および瀬戸大橋線により下津井電鉄のバス部門の主力路線である岡山 - 児島の乗客が減少し、鉄道線の赤字補填が困難となったため、1991年(平成3年)1月1日に下津井電鉄線と共に廃止された。かつての四国往来に由来する、下津井 - 丸亀航路との連絡駅であり、駅舎南側から下津井港の発着場まで連絡通路が設置されるなど、同航路との連絡の便が図られていた。開業時の駅舎は本社機能を上層階に持つ、二階建ての堂々たる木造建築であったが、戦後になって老朽化のため、鉄筋コンクリート造の平屋に置き換えられた。この駅舎の北側には1949年の電化時に変電設備が設置され、いずれも中古品と考えられる定格出力160kWのガラス槽水銀整流機と定格出力150kWの回転変流機が設置されていたが、瀬戸大橋完成に伴う1988年3月ダイヤ改正で琴海駅の交換設備を復活し列車増発を行うことが計画されたため、1987年11月に老朽化した水銀整流機は撤去され、代わってシリコン整流機を設置し以後はこれが主用された。開業から廃止まで、プラットホームは駅舎改札口と直結する対向式1面と島式1面を組み合わせた3線2面構成となっており構内踏切で連絡したが、この内車庫寄りの1線は終端駅故の機回り線としての必要から設置されていたものであった。このため路線短縮後は保存車の展示に使用されるなど、実用目的ではほとんど使用されておらず、実際には対向式2面2線相当として使用されていた。構内には鉄骨造トタン張り4線収容の大きな車庫と、2線収容でチェーンブロックなどの検修設備を備えた検車場、それに木造の工場や倉庫などの建物が林立していたが、路線短縮後は車庫の4線の内3線が撤去されて駐車場代用となり、さらに瀬戸大橋博覧会開催直前の構内整備時に車庫と工場・倉庫の各建物が撤去され、跡地には温室と下工弁慶号運転用の環状線路が設置された。児島 - 下津井間の線路用地は一部を除き倉敷市に無償譲渡され、その後同市によって遊歩道「風の道」として全区間整備された。このため現在でも歩くことができ、毎春恒例となった倉敷市などが主催のウォーキングイベント「瀬戸内倉敷ツーデーマーチ」でもコースの一部として活用されている。これに対し、下津井駅構内は現在もそのまま下津井電鉄が所有し続けているが、廃止後にほとんどの施設や設備は解体、撤去されて更地になったものの、駅舎とそれに隣接する事務所、末期まで使用された客車8両、貨車3両の合計11両の車両を収容する旧温室(元来はカフェテラスとして建てられた物)と、0kmポストの記念碑などは解体されずに、現役当時の状態で非公開のまま長く残されていた。2005年になり、駅舎と事務所、倉庫、それに0kmポスト記念碑が解体、撤去された。このため現在では旧温室とその中に収容された車両、駅舎や事務所の基礎、ホーム跡、それに整地された広大な旧敷地のみが残されている。駅舎の解体は老朽化が進んだ(屋根瓦の崩落が起きたりしていた)ことが理由であると、後述の「下津井みなと電車保存会」のウェブサイトにて説明されている。駅舎は解体されたもののかつての駅前広場には現役当時の面影が良く残っている。駅前広場にあった初代社長、白川友一の銅像は健在である。銅像は敷地外なので、常時見ることができる。路線短縮時と全廃時に大半の車両が下津井工場で解体処分されたため、現存する車両は少ない。ただ客車8両、貨車3両は前述の下津井駅構内にある旧温室内で廃止後も保管されている。保存車両は、2002年から地元の有志により結成されたボランティア団体「下津井みなと電車保存会」により、下津井電鉄の協力も得て維持整備活動がおこなわれている。2008年からは保存車両の公開をおこなう「下津井みなと電車まつり」が年1回開催されている。会では引き続き構内の線路敷設(展示用)や一時期荒廃した温室周りの整備を進めており、将来は車両を走行可能な状態にまで復元したいとしている。保存されている主な車両は、以下の通り。下津井電鉄で使用された車両は、他に岡山県瀬戸内市にあるドライブイン「おさふねガーデン」脇の山陽新幹線高架下にクハ6、ホハフ2、ホワ10の3両が保存されている。

出典:wikipedia

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