カシャッサ(、カシャーサとも)は、サトウキビを原料として作られる、ブラジル原産の蒸留酒。またピンガ()などとも呼ばれる。現在、世界で第2番目に多く消費される蒸留酒。ブラジル全土で生産されているが、特にミナス・ジェライス州が多いとされる。なお、同じくサトウキビを原料とする西インド諸島原産のラム酒とは同類系統の蒸留酒であり、広義ではラム酒の仲間と解釈される(ただしブラジルではこれを敬遠し否定する。詳細は後述)。1532年にポルトガル探検隊の隊長Martim Affonso de Souza(マルチン・アフォンゾ・デ・ソウザ)により大規模な入植地が形成された。この時にポルトガル領であった北大西洋のマデイラ諸島からサトウキビの苗がブラジルに持ち込まれ、サンパウロ州サントス港近辺のサンヴィセンチで最初のサトウキビ畑をプランテーション化して砂糖を精製するようになった。1536年、ポルトガル移植者がブラジルに蒸留機を輸入し、プランテーション化していたサトウキビを原料に蒸留酒を造るようになった。なお、これとは別に偶然による産物でカシャッサが生まれたとする説もある。砂糖はサトウキビの絞り汁を煮立たせて醗酵するが、当初、その際に上ってくる泡をすくい上げて捨てていた。しかし泡は一晩経つと翌日には液状化する。働かされていた黒人奴隷たちは、偶然それを飲んでみると気分が良くなった。つまり酔うようになった、というものである。いずれの説にしても、黒人が飲むようになったことで、奴隷たちに与える食事が少なく済むようになったため、ポルトガル人たちも黒人奴隷が飲むことをある程度容認し、また自分達も飲むようになった。1622年、ノルデスチ(ブラジル北東部)にオランダが入植を図ったが、この際にオランダ製の蒸留酒製造機が持ち込まれ、カシャッサの質・量が共に飛躍的に向上した。1789年、歯科医のJoaquim José da Silva Xavier(ジョアキン・ジョゼ・ダ・シルヴァ・シャビエ、別名:Tiradentes - チラデンチス)という若い騎兵隊の将校をリーダーに、ポルトガルに対して独立運動が起こった。この時、彼らは「独立の乾杯はポルトガルワインでなく我々のカシャッサだ」というスローガンを打ち出した。独立運動は失敗に終わりチラデンチスは処刑されたものの、このスローガンが民衆の心を掴み、カシャッサは独立のシンボルとして、また一般大衆に浸透されて愛飲されるようになっていった。近代になると、有名なメーカーによる大衆的なブランドが大量生産され販売されるようになった。しかし近年では、こうした量産品ではなく職人が造る芸術的な域にまで達したカシャッサが注目され好んで飲む人が増えている。きっかけはミナス州サリナスで故アニジオ・サンチアゴとその一家が製造した、Havana(ハヴァナ)というブランドである。ハヴァナとは彼らのファゼンダ(農場)の名前で、1943年に蒸留酒所を創業した。ブラジル政府は海外からの来賓にこのHavanaを起用したことで有名になった。しかし、キューバ・ロンのハバナ・クラブがブラジルに入ってきた際に、登録商標問題が起こり、その結果Havanaを自身の名であるANÍSIO SANTIAGO -アニジオ・サンチアゴに変えざるを得なくなった。これにより市場からHavanaブランドが稀少化しプレミアムな価格がつくようになった。これによりHavanaの名称は一気に知られることになり、こうした職人の作る希少価値のあるカシャッサが注目されることになった。またこれにより、カシャッサの高級化が図られ、欧州などへの輸出も拡大されている。上記の通り、カシャッサにはいくつかの名称があるが、これは地域での呼称によるものである。カシャッサは主にリオを中心としたブラジル全土での共通語とされる。サンパウロではピンガ、そしてリオ・グランデ・ド・スルなどブラジル南部ではアグアルディエンテ・デ・カニャなどと呼ばれる。この他にもカニーニャ、シュガー・ケーン・ブランデーなどともいわれる。なおブラジルではカシャッサのブランド力を高めるために州の機関によって認められたものだけをカシャッサと呼んで、あえてピンガとは呼ばない地域もある。Cachaça(カシャッサ)の語源は、Cachos - カッショス(複数の房)に、aca(大きい・成長した)という接尾語がついたものである。つまり本来は藤の花房やバナナ、ブドウの房のような状態のことである。ポルトガル国内でワインなどの醸造酒を製造する際、発酵工程で泡が出る。この泡は不純物が含まれており容器の底に、澱みや滓(おり・かす)が沈殿する。また当時のワイン製法は雑だったため、醜くて悪臭があり、醗酵過程で泡粒が生じる。この泡粒は原料のブドウと似ていた。ポルトガルはアペリード(ニックネーム、あだ名)がつけるのが通例で、これをブドウの花房になぞらえてカシャッサと名づけたといわれる。これに対し、Pinga(ピンガ)は、本来は滴(しずく)や点滴のことであるが、大衆的なブランドで世界最多の生産量で知られるブランドの「51 - シンクエンタ・イ・ウン」を製造する会社名である。30年ほど前からこの51がブラジル全土で販売展開されるようになり、また日本をはじめ海外へ輸出されたことで、ピンガの名称も広く知られることになった。またカシャッサには多くの別名がある。Água Branca(アグア・ブランカ、白い水)、Água Maluca(アグア・マルーカ、狂った水)、Brasileirinha(ブラジレイリーニャ、ブラジル娘)、Café Branco(カフェ・ブランコ、白いコーヒー)、Dona Branca(ドナ・ブランカ、白い女主人)、Veneno(ヴェネーノ、毒)など、俗名で呼ばれることもある。カシャーサには、有名メーカーが工場で量産する大衆的ブランドと、職人が手間ひまをかけて作るため量産できない地酒ならぬ地カシャーサの2つに大きく分けられる。上記の大衆的なブランドのいくつかは日本の大きなデパートや専門店、またブラジル食材店でも入手できる。これに対して職人が作る非量産のカシャッサは、ブラジルではCachaça Artesanal - カシャッサ・アルチサナゥといい、一般的なルートでの入手は容易ではない。しかし日本においてもこれらのカシャッサを愛好する人々も存在し、これらの人々の間ではアーティザン・カシャーサなどと呼ばれる。なお、Artesanal - アルチサナゥ、Artesão - アーティザン(正確な発音はアルチザゥン)は、ともに“芸術的な職人”を意味する言葉であるが、一般的にブラジルでは、Cachaça Artesanal - カシャッサ・アルチサナゥというのが正式な呼称である。サトウキビの搾り汁を加水せず直接発酵、蒸留を行って作り、48%のアルコール分になるまで発酵させ、その後アルコール分が39%辺りになるまで、芳香成分と香りを残しながら調整する。ブラジルが定めるカシャーサの定義は、ブラジルで産出されたサトウキビを原料とし、その絞り汁を醗酵させたアルコール度数が38~54度の蒸留酒とする。また製品1リットルに対し6グラムまで加糖したものも含める。ただし、カシャッサ・アルチサナゥの主産地であるミナス・ジェライス州の法律では、独自のカシャッサ・アルチサナゥ製造工程法が取り決められており、原料として砂糖や副原料などの添加物を一切使用してはならない、と厳格に定めている。特に北ミナス地方では、土地や気候に加え、製造技術の3つの条件を満たす、最も品質に優れたカシャッサができるという。気候は特に重要とされる。サトウキビの生産サイクルにおいては雨が大事で、前半は多くの雨を必要とし、後半は雨が少ない方がいいとされる。またさらに収穫の1ヶ月ほど前には雨がまったく降らないことが望まれる。もしこの時期に大雨が降ると、糖度が低下し苦味ができるためである。冒頭文の説明の通り、カシャッサとラム酒は共にサトウキビを原料とする蒸留酒である。ブラジルでラムの名が知られるようになったのは1660年代半ば頃で、これに対しカシャッサの名が定着したのは1750年代半ばといわれる。ブラジルでラム酒の名が定着しなかったのは一説に西インド諸島を領土化したスペインとの交易対立であるともいわれる。したがって、ブラジルでは「カシャッサはラム酒ではない」と明確に区別している。ラム酒との違いを具体的に挙げると、これらの違いにより、ブラジル原産のカシャッサは、ラム酒とは異なる、独特な味わいと香りのあるスピリッツとなっている。バチーダとは、ブラジルでいうカシャーサをベースで作るカクテルのこと。果物を使うことが多い。
出典:wikipedia
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