関口 雄大(せきぐち ゆうた、1985年8月26日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(外野手)。宇都宮北高校卒業後、滋賀大学経済学部に進学。同大学では1年秋からベンチ入り。当初は大学で野球を続けるつもりは無く、プロ入りも意識していなかったが、3年春に京滋大学野球リーグの選抜チームに選ばれ、近畿大学の大隣憲司のプレーを見て、「自分も同じ5リーグ対抗戦の舞台に立っているのだから努力すればプロに入れるのではないか」と思い至ったことでプロ入りを目指す(但し大隣との対戦経験はない)。春季京滋リーグ2部で打率.535、本塁打5、打点17で首位打者となり、最優秀選手、ベストナインに選出された。2007年春季リーグ戦後に野球部を退部し、学籍を残したまま8月にアスリートブランド社主宰のアメリカ・カリフォルニア大学サマーリーグのモントレー・ベイソックスに参加。レギュラーとして43試合に出場し打率.309、本塁打4、盗塁8、打点28という成績でチームの主力選手として活躍。帰国後の2007年9月に行われた横浜ベイスターズ新人テストに参加し、打撃では柵越えを連発したほか50メートル走で5秒54、遠投で120メートルという好成績で合格。同年秋のプロ野球ドラフト会議の育成選手部門にて1巡目で指名され入団し、横浜球団初の育成選手となった。ドラフト制後の国立大学出身野手の入団は4人目、滋賀大学からは初めてのプロ野球選手となった。に二軍で32試合に出場し打率.356、本塁打4と好成績を残した。この活躍が認められ、オフに支配下登録された。横浜球団において初の、育成選手が支配下登録された例となった。7月、初の一軍昇格を果たした。同19日、プロ初打席で初球を打ち初安打。11月26日に、稲田直人、坂元弥太郎、松山傑との交換トレードで加藤武治、松家卓弘と共に北海道日本ハムファイターズに移籍した。育成枠出身者のトレードは初である。背番号は松山が着用していた57に決まった。日本ハム移籍後の一軍出場はとのみで、は一軍出場なし。2012年10月23日、宮本賢、市川卓と共に戦力外通告を受けた。引退後は日本ハムの一軍の用具担当として球団に残る。
出典:wikipedia
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