桑原 謙太朗(くわはら けんたろう、1985年10月29日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(投手)。三重県名張市で生まれ、名張小4年生の時に地元の名張少年野球団で野球を始めた。津田学園高校では1年秋から控え投手としてベンチ入りし、3年春にエース投手となったが甲子園出場は果たせなかった。その後、奈良産業大学へ進学し、1年秋からベンチ入り。春の対奈良大学戦では完全試合を達成したほか、2007年秋は6勝を挙げてチームの3季連続優勝に貢献。近畿学生野球連盟リーグ戦通算47試合登板、26勝2敗、防御率1.38, 255奪三振。最優秀選手1回、最優秀投手1回、敢闘賞1回、ベストナイン3回受賞。2007年のドラフト会議で横浜ベイスターズから3巡目で指名を受け、同年12月2日に大阪市内のホテルで入団契約を結んだ。契約金7,000万円、年俸1,200万円。背番号は「38」。4月4日にイースタン・リーグの対読売ジャイアンツ戦で先発を務め、7回3安打無失点と好投して翌日に一軍昇格。4月6日の対広島東洋カープ戦では、ファームでの登板から中1日空ける形で8回に4番手で起用されたが、1回を5安打3失点、チームも大敗した。その後は先発と中継ぎの両方で起用され、7月9日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、真田裕貴の後を受けて同点の場面で登板して2回無失点に抑えると、6回表にジェイジェイの決勝本塁打でプロ初勝利を飾った。8月16日の対阪神戦では150球を投げ、7安打無失点6奪三振で初完投・初完封を達成した。先発時の防御率6.17に対してリリーフ時は2.45と、起用法により成績の違いが際立った。はオープン戦での故障もあり開幕に出遅れたが、8月21日に昇格してからは中継ぎとして登板し続け、終盤には投手の駒不足から先発として2試合登板し、勝ちこそ付かなかったものの、14イニングを投げて3失点と結果を残した。は中継ぎで起用されたが、制球難に陥り、結果を残せず不本意なシーズンを送った。11月11日に一輝とのトレードで、野中信吾とともにオリックス・バファローズへ移籍した。背番号は「13」。、10試合に登板し防御率は3.50であった。、一軍では2試合に登板、二軍では22試合に登板して5勝1敗、防御率2.61を記録した。、一軍では6試合に登板した。11月7日に白仁田寛和とのトレードで阪神への移籍が発表され、11月10日に公示された。当時の阪神は手薄だった中継ぎ投手の補強を図っており、先発投手を求めて白仁田に目をつけたオリックスと思惑が一致しての移籍であった。背番号は、白仁田が着けていた「64」となった。スリークォーターの変則的なフォームから繰り出される最速150 km/hの速球と、打者の手元で変化するいわゆる「真っスラ」のスライダーを武器にする。制球力が低いことが課題。
出典:wikipedia
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