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ターメル・スレッジ

ターメル・スレッジ(Terrmel Sledge, 1977年3月18日 - )は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。愛称は「スレッジハンマー」(両手で持つような大きいハンマーの意)。アフリカ系アメリカ人の父と韓国人の母を持つハーフである。カリフォルニア州グラナダヒルズのジョン・F・ケネディ高校を経て、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校を卒業。のMLBドラフト45巡目でシンシナティ・レッズに指名されるが契約せず。翌のMLBドラフト8巡目でシアトル・マリナーズに指名され契約。9月にトレードでモントリオール・エクスポズに移籍。にエクスポズでメジャーデビューし、主に左翼手として133試合に出場し打率.269、15本塁打、62打点を記録。エクスポズがワシントンD.C.へ移転し、名称をワシントン・ナショナルズと改めたは開幕戦で、ナショナルズ第1号となる本塁打を放つ(4月4日、対フィラデルフィア・フィリーズ戦の6回表)も、20試合の出場に留まった。12月8日にアルフォンソ・ソリアーノとの1対3のトレードで、ブラッド・ウィルカーソン、アーマンド・ガララーガと共にテキサス・レンジャーズに移籍。さらに1月6日にはビリー・キリアン、アダム・イートン、大塚晶則とのトレードで、エイドリアン・ゴンザレス、クリス・ヤングと共にサンディエゴ・パドレスに移籍した。は100試合に出場し、打率.210・7本塁打・23打点を記録。チームメイトに、後に埼玉西武ライオンズへ入団するヒラム・ボカチカがおり、ボカチカが右翼手、スレッジが左翼手で先発出場した試合も多かった。2007年12月4日に北海道日本ハムファイターズが退団したフェルナンド・セギノールに代わる主砲候補として2年契約(総額285万ドル)で合意したことを発表した。背番号は10。、開幕直後は内野ゴロ、特に二塁ゴロが多く、出塁も四球によるものが大半で打率が上がらなかったが、セ・パ交流戦から徐々に打率を上げて日本の野球に順応し出した。大柄ではないが、パンチ力を生かした鋭い打球を飛ばす打撃が持ち味で、得点圏打率.355(リーグ2位)という勝負強い打撃で大砲不在のチームでは貴重な存在となった。打順は4番・5番、指名打者での出場が多く、一塁手・左翼手としても起用された。は、高橋信二が4番・一塁手に定着したこともあり、打順は5番で指名打者か左翼手での出場が多くなった。5月17日の対オリックス・バファローズ戦で走塁中に左太もも裏の軽い肉離れのため選手登録を抹消されたが、117試合に出場。打率.266、27本塁打、88打点と前年以上の成績を残した。しかし、目標にしていた30本塁打には届かず、対戦相手によっては極端な右寄りの守備体形(スレッジシフト)を取られたことで、何本かの安打性の打球を捕球されることもあった。クライマックスシリーズ第2ステージ第1戦(対東北楽天ゴールデンイーグルス戦)では、9回裏に福盛和男から値千金の逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、楽天の勢いを断ち切った。第4戦では岩隈久志から3点本塁打を放ち、日本シリーズ進出を決定的にするなど、4試合で2本塁打10打点の大活躍でMVPを獲得。日本シリーズでも、本塁打を放つなどの活躍を魅せた。しかし、契約更改は難航し、将来の和製大砲として期待を寄せる中田翔を起用したい方針もあり、現状維持の単年契約を掲示する日本ハム球団側と、大幅増の複数年契約を主張するスレッジの代理人側との間に開きがあり、保有権を喪失した12月1日に自由契約となった。日本ハムは自由契約となった後も引き続き交渉を行ったが、両者の主張は平行線を辿ったままであった。その後横浜ベイスターズから、スレッジが希望していた大幅増の複数年契約でのオファーがあったため、2009年12月17日に2年契約で横浜への入団が決まった。背番号は3。は、DH制のないセ・リーグでは左翼手のみでの出場となった。打順は基本的に5番。打率(.252)と打点(78打点)は共に前年の記録には及ばなかったが、右投手に対し打率.215と不調であったのに対し左投手に対しては打率.311と相性が良く、本塁打はシーズン最多の28本を残した。交流戦直前には子供が生まれたために一時帰国。チームも低迷したため、9月23日をもって早々と自身のシーズンを終えることとなった。は1試合3本塁打を2度記録するなど固め打ちが多かったが、1ヶ月以上本塁打が出ない時期もあり波の激しいシーズンだった。8月21日に右脚付け根を痛め登録を抹消された。その後9月6日に復帰したが、痛みが再発して4日で再び抹消され、治療のため帰国することになり、12月1日に球団から戦力外通告を受けた。2011年12月7日、古巣日本ハムと契約することが発表され、3シーズンぶりに復帰することになった。背番号は再び10に決まった。は左翼手に中田翔、一塁手に稲葉篤紀が定着しているためDHでの出場、DH制のない交流戦のセ・リーグ主催試合では代打での出場となった。主に7番打者を務め、5月22日の横浜DeNA戦にて、史上23人目となる全球団から本塁打を達成するなど、前半戦のチームの首位争いにも貢献していたが、6月19日に左膝の検査を受けるため帰国した。その後、6月30日に左大腿骨滑車溝に4度(重度)の軟骨損傷と遊離軟骨があると診断され、リハビリが進まず、結果的に復帰できないままシーズンを終えた。11月5日、球団より退団が決定したことが発表された。ファーストネームは、両親が名付けるときにTerrence(テレンス)かMelvinの(メルヴィン)どちらにするか迷い、2つをつなげたTerrmelにした。焼肉が好物である。2008年9月15日の対オリックス戦で先発したダルビッシュ有は、試合後「何をオゴったらいいかわからない」と発言(8回まで完璧な投球だったが9回に逆転を許し、そのままオリックスの勝利かと思われたが、その裏スレッジのサヨナラ打があり、勝ち星が転がってきた)。それを聞いたスレッジは「じゃあ焼肉をお願いします」と即答した。この約束が果たされたかどうかは不明だが、クライマックスシリーズ第1ステージでダルビッシュが先発し、スレッジが先制本塁打を放って勝利した試合後、「今はこのままの方がお互いに流れがいい。日本シリーズが終わったら、連れて行ってもらうよ。僕は焼肉が大好きだから」とリクエストした。相手選手を試合やシーズンを通して研究している。試合やシーズンが終盤に近づくにつれて好成績を上げる場合が多い。試合を決める一打も多く、2009年はリーグ最多の15勝利打点を記録している。元楽天監督の野村克也は、「スレッジは直球のみのバッターで、フォークだけ投げとけば大丈夫」「真っすぐしか打てないバッター」と評価している。

出典:wikipedia

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