西野 友毬(にしの ゆうき、, 1993年9月10日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。世界ジュニア選手権5位。2007年ジュニアグランプリファイナル3位。武蔵野中学校・高等学校卒。明治大学政治経済学部卒。小学5年でルッツとフリップを習得し、小学6年までにアクセルを除く5種類の3回転ジャンプを跳べるようになった。中でもルッツが得意。ただし、フリップではアウトサイドで踏切る癖があり、エラーエッジ判定を受けることがある。ジャンプ以外の要素においても高い評価を受けており、スピン、スパイラルでは複数のレベル4判定を受けている。またGOEの加点も多く付けられている。大阪府に生まれ、5歳からスケートを始める。もともとやりたがっていたのはスピードスケートだったが、母の勧めでフィギュアスケートをすることになった。1998年より新松戸アイスアリーナの岡島功治に師事し、リンク閉鎖後は明治神宮外苑アイススケート場に練習拠点を移す。2005-2006シーズンの全日本ノービス選手権で2位、翌2006-2007シーズンの全日本ノービス選手権で優勝。2007-2008シーズンからジュニアに上がると、アジア杯ジュニアクラス、ISUジュニアグランプリ (JGP)タリン杯、JGPジョン・カリー記念と立て続けに優勝。JGPファイナルでは3位となった。全日本ジュニア選手権では2位となり、全日本選手権にも出場した。世界ジュニア選手権では5位となった。2008-2009シーズンは振付をローリー・ニコルに依頼し、さらなる飛躍が期待されたが成績はふるわず、世界ジュニア選手権代表の座も逃した。2010-2011シーズンからは岡島功治・樋口豊両コーチに指導を仰ぎ、JGPブラショフ杯で7位、JGPジョン・カリー記念で3位入賞。また全日本選手権ではSP6位・FS7位で総合6位に入賞し、世界ジュニア選手権の代表に選出された。2015-2016シーズン、東日本選手権で3連覇。全日本選手権ではSPでの失敗が響き21位と出遅れた。しかしFSでは転倒なくジャンプをまとめ18位に順位を上げた。年明け1月に開催されたインカレでは史上初の4連覇を果たし、17年間のスケート人生を有終の美で飾った。
出典:wikipedia
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