白山中居神社(はくさんちゅうきょじんじゃ)は、岐阜県郡上市白鳥町石徹白に鎮座する神社である。の一つであり、白山信仰と関わりが深い。白山信仰の美濃国からの道は、白山中宮長滝寺(現長滝白山神社、長瀧寺)から、越前国の白山中居神社をとおり、白山へと向かっている。鎮座地は石徹白川左岸、支流である宮川との合流部に位置し、参道に橋が懸けられている。言い伝えでは、景行天皇12年の創祀で、雄略天皇9年に護国鎮護のために剣を奉納したと伝えられている。養老元年(717年)に泰澄大師が白山中居神社の社域を拡げ、社殿を修復したという。平安時代から江戸時代初期にかけて、藤原能信、藤原秀衡、今川義元、柴田秀勝、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、数多くの武将の信仰を受け、江戸時代には、越前国大野郡石徹白村が白山信仰による白山へ向かう巡礼者への手助けを行い、村人は、白山中居神社の社人、社家となり、無税、帯刀御免の身分とされていた。宝暦4年(1754年)から8年にかけて石徹白騒動が発生。白山中居神社神職(神主)の上村豊前が郡上藩寺社奉行根尾甚左衛門と結託し、神頭職(社領を統治する役)杉本左近と村民約500人を石徹白村から追放する。同時期に発生した郡上一揆とともに幕府評定所の判決が出され、老中の本多正珍が免職、若年寄本多忠央が領地没収、郡上藩藩主金森頼錦が領地没収、お家断絶などの大規模な処分が行われる。安政3年(1856年)に現本殿が再建された。大正10年(1921年)に福井県の県社になり、昭和33年(1958年)、石徹白村が福井県から越県編入して岐阜県郡上郡白鳥町石徹白となって岐阜県の神社となり、同37年、本殿の彫刻が岐阜県重要文化財に指定され金幣社になる。境内にある「浄安杉」およびブナ原生林は、昭和49年(1974年)11月13日に、岐阜県の天然記念物に指定された。岐阜県指定重要文化財岐阜県指定天然記念物郡上市指定無形民俗文化財泰澄が美濃禅定道を開き、その経路上にある。
出典:wikipedia
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