ブルーノ・ゴルニッシュ(Bruno Gollnisch、1950年1月28日 - )は、フランスの学者、政治家。フランスの政党国民戦線のナンバー2である全国代表。欧州議会議員、院内会派アイデンティティ、伝統、国家主権共同代表、ローヌ=アルプ地域圏議会議員、リヨン市議会議員。ゴルニッシュは、彼の思想と国民戦線における位置によってフランスで論議を呼ぶ人物のひとりである。1950年1月28日、ヌイイ=シュル=セーヌに生まれる。当初は外交官を志望し、法律、政治学、北東アジアの諸言語を学んだ。ナンテール大学在学中にジャン=マリー・ルペンに出会う。また、フランス海軍予備役将校となっている。1971年にフランス国立東洋言語文化研究所で日本語、マレーシア語および、インドネシア語の学位を取得した。1973年パリ政治学院で政治学の学位と公共法における修士号を取得する。1974年京都大学に留学し、法哲学を中心に学ぶ。京都留学中は、三畳一間のボロアパートで銭湯に通ったという。また、『万葉集』『源氏物語』『平家物語』などの古典から三島由紀夫、川端康成、芥川龍之介まで日本文学を渉猟した。帰国後、1978年にパリで法学博士号を取得した。1980年以降、パリの法曹協会で弁護士登録し、法律顧問、弁護士として活動した。専門は東アジア諸国の法律である。メス大学法学部助教授を経て、1981年リヨン第三大学教授となり、日本語と日本文化論を教えた(現在は停職中)。妻は日本人で、3人の子供がいる。2007年1月、ゴルニッシュはリヨン軽罪裁判所から1990年制定のゲソー法で禁止された人道に関する罪に対する論争の罪を問われ、執行猶予3か月の禁固刑と、罰金5万5000ユーロを宣告された。2004年10月11日、ゴルニッシュは以下の発言を行った。ゴルニッシュは、その後も発言を繰り返したが、ゴルニッシュのホロコースト否定とも取れる主張は、時期的にアウシュヴィッツ強制収容所解放60周年を間近に控えていたこともあり、センセーショナルなものとなった。リヨン大学の学長は、国民教育省に対してゴルニッシュを停職とする懲戒処分を検討していることを報告した。 12月26日、リヨン大学学長はゴルニッシュを30日間の停職処分とすることを発表した。すでに12月2日には大学当局は、トラブルを防止するため大学構内にゴルニッシュが入ることを禁止した。もっともこの決定は、2005年1月14日に国務院(コンセイユデタ)によって取り消された。同年2月2日、ゴルニッシュはリヨン第三大学における講座を再開した。しかし、今度は左翼およびユダヤ系学生によって教室への学生の入室が妨害しようとし、これに対抗して国民戦線側の学生は反対派と対峙し、乱闘騒ぎを起こし警官隊によって多くの学生が逮捕される始末であった。2006年11月7日、裁判の冒頭、口頭弁論でゴルニッシュはナチスによるユダヤ人の組織的殺害の有無にかかわらず、ユダヤ人への迫害そのものが人道に対する犯罪であったことを認めるかどうか尋ねられ、そのとおりであると答えた。
出典:wikipedia
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