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王子町

王子町(おうじまち)は、かつて東京府北豊島郡に存在した町の一つ。1908年(明治41年)の町制施行によって誕生した。現在の東京都北区中部に当たる地域。1889年(明治22年)の市制町村制によって誕生した、前身である王子村(おうじむら)についても合わせて記述する。それ以前の武蔵国豊島郡王子村についても本項で述べる。現在の地名では王子、王子本町、上十条、岸町、十条台、十条仲原、豊島、中十条、東十条、堀船に相当する。西部は武蔵野台地の高台であり、東部は荒川の氾濫原である。王子村は荒川の岸にあることから古くは「岸村」といい、熊野権現の御子神である若一王子社(後の王子権現、現・王子神社)が勧請されたことにより王子村と改められた。伝承によれば平安時代末期、源頼朝が奥州合戦の際に若一王子社へ甲冑を納めたされ、『義経記』によれば源義経が王子板橋に陣を張ったとある。また、鎌倉時代後期の1322年(元亨2年)にこの付近を支配していた豊島氏(豊島清元とするものもあるが時代が合わない)が勧請したともされる。いずれにせよこの付近の地名は王子、十条、飛鳥山、音無川など紀伊国熊野に由来するものが多い。十条村はもとは王子村のうちで、王子神社が勧請された際に名づけられたともされる。江戸時代に十条村上組・下組となり、明治に入り上十条村・下十条村となった。豊島村は続日本紀に「武蔵国豊島駅」とあるのがこれとされる。その名のとおりかつては豊島郡の中心地であったと考えられている。堀之内村は「梶原堀之内村」とも呼ばれていたが、は古くは単に「堀之内村」といった。梶原景時の葬られた塚が作られて以降、この名がついたという。ただしこれは信憑性は低く、正しくは梶原政景の塚などとする説がある。いずれの地も江戸時代には岩淵領に属した。1889年(明治22年)、王子村、豊島村、上十条村、下十条村、堀之内村および船方村の西半分が合併され王子村となった。東京府案では王子村、豊島村、船方村を本郷区に編入しようとしていたが、内務省に却下された。北豊島郡案では王子村、豊島村、下十条村、堀之内村に滝野川村の東半分を合わせ「王子村」としようとし、滝野川村戸長の了承も得ており、上十条村は「赤羽村」(岩淵町)に加えようとしていたが、こちらも却下された。他に東京府費補助道11条、里道9条あり。

出典:wikipedia

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