小国 英雄(おぐに ひでお、1904年(明治37年)7月9日 - 1996年(平成8年)2月5日)は青森県八戸市出身の映画監督、脚本家。バプチスト神学院卒。白樺派の影響を受け、武者小路実篤主宰の新しき村に参加する。1927年(昭和2年)に日活太秦撮影所に助監督として入社。その後、脚本部に転属する。1933年(昭和8年)に『モダンマダム行状記録』でデビューする。こののち日活多摩川撮影所を経て、東宝へ入社。1939年(昭和14年)、音楽映画『ロッパ歌の都へ行く』、『金語楼の親爺三重奏』の二作品で監督。以後は娯楽作品の脚本に専念、ドル箱脚本家として活躍する。戦中にはマキノ正博監督の映画脚本を担当したほか、戦後黒澤明の脚本チームのまとめ役になるなど脚本界でも重要な位置を占め、のちフリーランスとなる。1966年(昭和41年)、TV番組制作会社C.A.Lの役員に就任。時代劇映画の脚本も多数手がけるが、「チャンバラっていうのは結局、踊りだと思う」、「時代劇は虚構の事実」と語っている。黒澤明作品では、脚本の競作において、裁判官(ジャッジ)の役目を担っていた。黒澤もその眼力の高さを買っていた。『生きる』において、主人公が途中で亡くなり、その葬儀がクライマックスになる展開を考えついたのは小國の功績である。「日本一脚本料の高い脚本家」として知られていた。100万円で一軒家を買えた時代に、小国の脚本は一本につき50万円したという。
出典:wikipedia
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