フラミニア("Flaminia" )は、イタリアの自動車メーカー・ランチアが1957年から70年まで12,633台製造・販売した大型高級乗用車である。イタリア大統領の公用車などに用いられた、当時のイタリアの代表的なプレステージカーであり、そのシャシーにはピニンファリーナ・ツーリング・ザガートが腕を奮い、クーペやカブリオレなど数々のスペシャルボディも架装された。フラミニアの名は同社の伝統に従い、古代ローマの街道名から取られている。ヴィットリオ・ヤーノ設計の傑作中型車アウレリアの後継車として企画された。技術的に最大の特徴は1920年代の傑作車ラムダ以来のスライディングピラー式前輪独立サスペンションを通常のダブルウイッシュボーン式に改めたことで、これによって従来のランチア各車の弱点であった「ランチア・トレモロ」と呼ばれるステアリングに伝わる微振動が克服された。後輪はアウレリア以来のド・ディオン式で、同様にギアボックスとデフが一体でリアに置かれるトランスアクスル方式も継承された。V6エンジンの基本設計もアウレリアのものが継承された。ブレーキは最初の約500台を四輪ドラムで生産後、当時まだ珍しいダンロップ製4輪ディスクに変更された。4ドア・ベルリーナと2ドアクーペのボディは1956年のトリノ自動車ショーでデビューしたアウレリア・ベースのピニンファリーナの傑作プロトタイプ「ランチア・フロリダ」(観音開きの4ドアセダン)、「フロリダll」(2ドアクーペ、バッティスタ・ピニンファリーナのパーソナルカーに用いられた)をベースにしたものであった。「ベルリーナ」に加え、「クーペ」「GT」「スポルト」が追加され、当時の一流カロッツエリアであるピニンファリーナ・トゥーリング・ザガートがそれぞれデザインを担当した。セダンよりもクーペやGTの生産台数が多いことからも、高級サルーンとしてよりもパーソナルカーとしての人気が高かったことが伺える。フィアット傘下に入った直後の1970年に生産中止され、イタリアのプレステージカーの座はフィアット・130が継承した。当時の日本総代理店であった国際自動車商事を通じ、イタリア大使公用車を含む2台のベルリーナやGTLなどが少数輸入された。1968年に最後に輸入されたのはスペル・スポルトであり、同型車が四国自動車博物館に展示されている。
出典:wikipedia
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