ザヒ・ハワス(, 、1947年5月28日 – )はエジプトの考古学者。エジプト考古最高評議会 (CSA) 事務総長・元考古相であり、エジプト学の権威。アレキサンドリア大学を卒業後、ペンシルベニア大学にて博士号取得。1988年から、カイロアメリカ大学やカリフォルニア大学ロサンゼルス校などで教鞭をとった。2002年、エジプト考古最高評議会事務総長に就任。エジプト人によるエジプト学の育成や、文化財保護・返還運動に積極的に取り組む。エジプト革命最中の2011年1月31日、新設された考古相の地位に着いたが、3月3日に辞職。2011年4月17日、カイロ博物館のギフトショップの場所の利用について、特定の業者に便宜をはかった容疑で、裁判所により懲役1年の有罪判決が下された。ハワス本人は容疑を否認しており、上訴している。革命後のタンターウィー暫定政権下でも、5月から7月まで考古相に就いていた。欧米や日本のマスメディアの利用に積極的で、テレビ・雑誌などへの露出が学者としては極端に多く、ヒストリーチャンネルなど世界的なネットワークを持つメディアの古代エジプト特集には非常に頻繁に登場する。強硬な出土国主義を取っており、合法・非合法を問わず流出した文化財に対し返還要求を繰り返している。特に有名なのが、18世紀末から20世紀初頭にかけての帝国主義時代に流出した5品に対し、2007年に出された一時返還要求である(エジプトがこれらに返還要求を出したのは初めてではない)。ただしこれらは象徴的なパフォーマンスとみられており、実際に成果を上げているのは、比較的知名度の低い、近年の盗品などである。発掘に関しても、外国主導の発掘には消極的であり、しばしば発掘許可の停止について言及する。エジプトが保有する文化財の貸し出しには積極的である。ムバラク政権下では実質的にエジプト学を支配しており、発掘許可などの権限を一手に握っていた。しかしながら自説に反する発掘許可を出し渋るなど、私物化していると言った批判が多かった。また、ムバラク政権後期には政治的にも大きな権力を持ち、肉親への利益誘導などで批判されることも多かった。ムバラク政権の崩壊に伴い事実上失脚しており、それ以降メディアへの露出はほとんどない。
出典:wikipedia
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